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NO FAILURE NO SUCCESS

 次の記事を早めに書こうと思っていましたが、気が付いたら3週間が経っていました。1日過ぎるのが、あっという間ですね。実は、違う記事を書いていたのですが、途中でなんか違うなと思って、放置してしまっていました。ただ、その記事の中で、こっちの方がいいのでは?と思ったので、新たに書いてみようと思います。大学生としての4年間をざっと振り返りながら書きますね。
 かっこつけて、英語の題にしてみました。笑
 今でこそ、記事にして頂いたり、SNSでもなかなか多くの方々にご覧いただいたりしていますが、いろいろな失敗をしてきました。これから何かに取り組もうと思っている方の励みになればと思います。
 あくまで、自分の感覚ですので、その点は、ご理解くださいね。

入学したころ

 ご存知の方も、多くいらっしゃるかもしれませんが、1年間の浪人を経て、大学生になりました。そうはいっても、第一志望校ではありませんでした。ちなみに、現役受験生の時は、理工学部に進学して機械工学を勉強したいと思っていたんです。それに加えて、受験していた当時は、高いレベルで野球をしたくて、それも併せて志望校に選んでいました。浪人するというときに、体育系の学部に切り替えて、何校か受験しました。
 そんな感じで受験期を終え、立命館大学への入学が決まりました。入学当時は、今のように頑張ろうと思って取り組むことができていなかったように思います。というのも、正直なところ、第一志望ではなかったという点が何よりも大きかったのです。
 その当時の心境は、「大学受験の失敗」一色でした。

気持ちが変わった「きっかけ」

 入学当初のやる気のなさといったら、思い返す限り、相当なものでした。「どうせ…。」という、諦めに近かったのではないかと思います。

 そんな時に、ふと考えたことがありました。4年後(卒業時)を想像したときの自分です。「このまま4年間過ごしたときに、どうなるかな。大学に入った意義を、見出すことはできるかな。」と、ぼんやり考えました。一つ強く思ったことは、家族に恩返しをできるように、ということ。
 なんだか、すごく綺麗ごとのように感じますよね。書いてても、そう感じてきます。でも、本当です。「恩返し」と括るとそう聞こえますが、単純に恩返しということではない気がします。やりたいことを夢中に追いかける環境は、自分だけでは決して作り出すことはできませんよね。家族だけでもないのですが。それに報いるというか、そうしてくれた意味を自分で生み出したいと思ったわけです。

部活も学業も全力で

 さて、改心したであろう私は、どっちも一生懸命に取り組もうとしたわけです。当たり前ですよね。笑
 部活は、改心するも何も、はじめから全力で取り組んでいましたよ。技術的には、明らかに達していないにも関わらず、リーグ戦候補選手としてピックアップされたこともありましたから。笑 逆V字のように、あっという間に、Cチームまで落ちてしまいましたが。
 問題の学業です。大学の授業に取り組むというより、研究関係に興味があったので、教授の研究室に訪問してみました。いくつか訪ねて、スポーツバイオメカニクスに興味があると確信しました。教授から先生を紹介していただき、その先生にたくさん面倒を頂きました。おかげさまで、2回生の時には、3つも学会発表の機会を頂きました。
 やっぱりこうやって、一生懸命に取り組むことで、いい経験もできるとよくわかりますね。

両立

 学業と部活との両立は、そこそこ大変でしたね。あれよあれよという間に、時間が過ぎてしまう感覚でした。それは、部活を引退した今も同じですが。笑
 これは、高校生のときも同じようなものでしたが、違う点が2つ。1つ目は、下宿。そして、2つ目は、部活の時間。
 前者は、家事も移動もすべて自分で。まあ、当たり前のことなのですが、当時は慣れないことばかりでした。親のありがたさを心の底から感じる時ですよね。皆さんも同じような経験をされたと思います。後者は、高校生の時よりも部活動の時間が長かったこと。高校は勉強を重視する学校だったので、土日は勉強に充てられる時間が非常に多かったです。一方、大学では、真逆で、ほぼ部活。うまくバランスをとるのが難しかった気がします。
 結果、何とかなってるので、何とかなると思います。

アルバイト

 それと、アルバイトもしながらだったので、それも、また高校までとは違った環境の一つですよね。塾講師からスタートしましたが、振り返ると様々な経験をしました。
 公にすることもないかなと思うので、あまり詳しくは触れませんが、予定はいつもカツカツでした。

大きな「Failure」

 題に「NO FAILURE NO SUCCESS」としているので、大きな失敗ではなく、この見出しにします。
 ある時、野球部でチームに大迷惑をかけたことがありました。その時は、心から申し訳ない気持ちとどうしようもない情けなさでいっぱいでした。それまでに、部活を辞めようと思ったことはありましたが、この時は最も強かったです。先輩、同期、後輩にどう顔を合わせたらいいかと思うほどでした。
 そんな時に、同期のみんなが手を差し伸べてくれました。もちろん申し訳なさもありましたが、同時に嬉しくもありました。日本一を目指す選手たちを支える日本一のアナリストになろうと決心しました。
 ちなみに、アナリストに転身するときに、プロ野球のアナリストになることを目標にしました。

大きな「Success」

 大きな成功という見出しにしましたが、成功というよりも成果に近いですが、ご紹介しますね。
 先に記しておきますが、以下の2つは決して自分一人で叶えられたものではありません。ここには書ききれませんので、感謝の気持ちを込めつつ、あなたにもご紹介しますね。

「+Rな人」

 ご存知でない方はこちらを先にご覧ください!

 これは、いろいろと取り組んでいた中で目指していたものの一つでした。取材の連絡をいただいたときには、すごく嬉しかったです。野球部から「+Rな人」に取り上げて頂いたのは、東北楽天ゴールデンイーグルスの辰己涼介選手以来とのことです。光栄です。
 大学生でのことを、がっつり取り上げて頂きました。

「未来へのメッセージ」

 ご存知でない方はこちらを先にご覧ください!

 これは、母校の取材です。実は、私が、開智未来高校硬式野球部の初代キャプテンになります。先輩が2代で、「野球部」としては3代目になります。
 それまでは?と思いますよね。笑
 硬式野球部ができるまでは、軟式野球部でした。2学年上の先輩が軟式野球部を創設し、私の代が3年生になるときに硬式野球部が創設となりました。当時の新聞記事です。

埼玉新聞(2017年7月9日)

 軟式野球部から硬式野球部に切り替わるというときに、一番初めに他の部員への話題が「2006年、夏の甲子園」でした。私自身野球を始めたのが小学2年生の時。ずっと野球は好きでしたが、直接のきっかけは「ハンカチ王子」でした。当時、決勝戦を再試合を含めて、すべてテレビにくぎ付けになっていました。「佑ちゃんフィーバー」は私の中にも、巻き起こり、自分も野球をしたいと思うようになりました。それ以来、目標は「甲子園」。
 このような内容の話をしたのです。監督は、はっきりと覚えていてくださって、この取材が決まった直後に、私に声をかけてくれました。
 ずっと憧れの斎藤佑樹さん。この時には、「プロのアナリストになったら、いろいろ教えてよ!一緒に仕事ができたらいいね。」と声をかけてくださいました。また夢を与えられて、力強く踏み出している現在にいたります。

さいごに

 失敗→成功、失敗→成功というレトリックで、ここまで書いてきました。(今回の記事では、「成功」といっても広義に解釈してください。笑)
 いかがでしたか? 
 もともと、私の場合noteは備忘録の意味を込めて書いているのですが、ご覧になった方にも勇気とか元気とか、おすそ分けできたらうれしいです。
 次のステップでも、失敗も成功もたくさんするだろうと思っています。どんな時でも、気合を入れて力強く歩んでいきます!もちろん、いろいろなことに挑戦しながら。
 乞うご期待!!

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