【解題】ニコラス・カルドア『ニューマネタリズム批判』(フリードマン・カルドア・ソロー「インフレーションと金融政策」収録)
前回のフリードマン『金融政策の役割』に続き、カルドアの『ニューマネタリズム批判』の解題という名の要約である。ニコラス・カルドアによる「The New Monerism」と題された論文は、1970年3月12日にロンドン大学で行われた講演が元になっている。元論文は以下のリンクを参照して欲しい。余談だが、カルドアは、オーストリア学派の重鎮であるフリードリヒ・ハイエクの本を若い時に1冊翻訳したぐらい筋金入りのハイエクの信奉者であった。(P.37)
N.Kaldor "The New Monetarism" , Lloyds Bank Review. July 1970.
http://public.econ.duke.edu/~kdh9/Courses/Graduate%20Macro%20History/Readings-1/Kaldor.pdf
マネタリズムの基本命題
カルドアは、マネタリズムの基本命題を4つの命題が挙げている。(P.35~P.40)
1. 名目GDPや名目物価水準とその変動率、名目賃金の水準とその変化率のような「貨幣変数」を決定する際には、貨幣だけが重要である。一方、財政政策、租税、労働組合の行動など貨幣以外の変数は無関係であるないし、実際には問題とならない。
2. 貨幣の「実質変数」は、一時的にしか変動させることができない。均衡実質利子率(自然利子率)、均衡実質賃金、均衡実質失業水準(自然失業率)が唯一存在する。
3. 貨幣供給だけが名目支出や所得、価格を決定するが、そこには不安定なタイムラグを伴う。
4. 貨幣供給をコントロールすることは貨幣変数を統制する唯一の強力な手段であるとしても、貨幣供給を変化させることによって景気循環を打ち消すような積極的安定化政策を遂行することを中央銀行に望むのは無理がある。ゆえに安定化の最善の方策は、貨幣供給の拡大を4ないし5%に着実に維持することである。
この4つの基本命題の基礎に、長期及び短期にわたる経験的考察から導かれた「安定的な貨幣需要関数」(P.38)の存在が措かれているとする。安定的な貨幣需要関数に対して、貨幣を安定的に供給しさえすれば、GNPや物価を制御できるというわけだ。カルドアは、フリードマンが導きだした「貨幣需要関数」は、定義や統計処理に恣意的な操作があるとして、次のように論駁している。
(安定的な貨幣需要関数は)貨幣の定義を色々と変えたり、貨幣の変化と所得の変化との間のタイムラグを色々と変えたりして得られたもので、そこのタイムラグの選択や、何が「貨幣」であるかの選択は、ともに回帰方程式の統計的「フイット」が最良であるという基準によって決められているのである。(P.38)
貨幣とGNPとの関係
フリードマンは、貨幣供給と名目GNPとの間に相関関係があり、それだけでなく消費、投資、富、賃金などその他あらゆるものと相関関係があると考えている。しかし、①高い相関関係はどちらの因果関係を示しているのか? 貨幣供給が所得水準を決定するのか?それとも所得水準が貨幣供給を決定するのか?あるいは両方が同時的に決定されるのか?、②強い統計的な結びつきが存在すると仮定すると、一つの変数、例えば貨幣供給をコントロールすることで、他の変数に予想された変化を引き起こすことができる事を意味するのか?といった疑問点があるとカルドアは述べている。
貨幣需要と貨幣供給
"貨幣の諸特性と流通速度"と題されたパラグラフでは、カルドア流の貨幣供給論が展開されている。カルドアによれば、貨幣は「いつでも負債を清算する支払手段として普通に用いられる金融上の請求権という形態」(P.43)である。所謂、「信用貨幣論」と呼ばれるものであろう。貨幣当局の役割について次のように述べている。
(貨幣当局は)公開市場操作を通して他の運用者よりもはるかに強力に、利子率とくに短期の利子率をコントロールできるからである。そしてまた、当局はある範囲内でこの制度の中で信用貸出の供給者として極めて強大な役割を担っている決済銀行による貸付額や貸付先をもコントロールすることができるからである。しかし、ラドクリフ委員会が明らかにしたように、信用統制が独立の手段としてーフィスカル・ポリシーの補完手段としてではなくその代替手段としてー運用される場合には、貨幣当局によるどんなに強力なイニシアティブをもってとしても、取引が決済銀行から他の金融機関へ転換されることによって、結局は金融市場に対する当局の支配力を弱めることになるのである。(P.44)
貨幣需要と貨幣供給の関係は、「貨幣需要の増加が供給の増加を喚起したのであり、貨幣供給は取引の必要に「順応」したのである。すなわち、拡大に対応して増加し、縮小に対応して減少したわけである。」(P.45)である。貨幣供給が貨幣需要に先行するといった貨幣外生説を否定しているといえよう。それを次の言葉でまとめている。
「安定的貨幣関数」についての実証分析のあらゆる研究結果に関する説明は、「貨幣供給」が「内生的」であって「外生的」ではないということである。(P.47)
「貨幣供給の変動を最も大きく左右するのは政府支出であり、中央銀行はそれに対して、一定の利子率に落とし込む調節を行っている」とする、いわゆる内生的な貨幣供給論をすでに50年前に主張していたカルドアは、やはり彗眼の持ち主であったといえよう。
現在では、政府の純借入必要額の変化が貨幣供給の最も重要な変動要因であることは周知のことである。(中略)また一部には、政府が無限の借入能力を持った借手であるという事実に起因するものである。すなわち、税収の減少によろうと、支出の増大によろうと、あるいはその双方に起因しようとも、政府借入の増大が貨幣供給の増加を伴うのは、「受動的」貨幣政策の自動的結果である。受動的貨幣政策とは、利子率安定化政策の一部として、単に債券市場の正常な状態を確保するために準備金を供給するものである。(P.50)
アメリカとイギリスにおける貨幣供給
後半では、主にフリードマン&シュワルツ『合衆国貨幣史』の検討が行われている。『合衆国貨幣史』では、当時の連邦準備理事会の政策決定によって供給されたマネタリーベースによって、アメリカにおける貨幣供給のほとんどが「外生的」に決められたと結論づけているが、大恐慌に先立つ1926~29年までの3年間はマネタリーベースが一定であったのに対して、1932年7月には1929年7月よりも10%も上昇しており、マネタリーベースの増加にも関わらず、3分の1もの貨幣供給の大収縮が発生した(P.53)と反論している。また、当時のアメリカとカナダにおける貨幣流通速度の比較検討が行われている。当時のアメリカでは貨幣供給の縮小は33%、カナダは13%であったが、名目GNPの比例的縮小率はほぼ同じである。貨幣流通速度の変化率を見ると、アメリカでは29%、カナダでは41%も低下していた。フリードマンが主張する「貨幣需要の安定性」は、貨幣供給不安定性の反映である。ここから、カルドアは「貨幣供給がより安定的に維持されていたならば、流通速度はもっと不安定となっていただろう」と結論しており、"安定した貨幣需要"という存在は否定されている。(P.56) 戦後イギリスにおいては、その貨幣供給の変動のうち74%は、公共部門の赤字だけで説明されるとしている。
結論
結論では、イギリス人らしい皮肉な言い方で講演を締めくくっている。
以上の議論全体から何かいえることがあるとすれば、何であろうか。確かに、なすべき最善の策は貨幣供給における年x%の安定的増加を確実に行うことである、というフリードマンの処方に、私は何の意義もない。しかし、この目標がイギリスはいうまでもなく、アメリカにおける貨幣政策の手段によって達成可能であるかどうか疑わしい。(P.60)
解説において、訳者の新飯田宏氏が述べているように、論敵であるフリードマンの主張を真っ向から取り上げて詳細に検証したカルドアの論文は、裏側からフリードマンたちマネタリストの主張の骨格を知る上で、大変有益である。新飯田氏は、「安定的な貨幣需要関数を導くために、あるときは貨幣の定義を広く、あるときは狭くするという、どちらかといえば曖昧でずるい態度がフリードマン自身の研究に見られることも確かである」と述べており、フリードマンの研究に手厳しい。新飯田氏は、フリードマンとカルドア、トービンが激突した1970年9月の第二回計量経済学の世界会議でのシンポジウムでの感想を述べており、面白い。
カルドアがマネタリズムの基本命題を批判し、トービンが理論的欠陥を指摘するのに対して、フリードマンは正面からこれらを取り上げて反論するよりは、詭弁に近い揚げ足取りの弁舌力でひらりとかわすといった応対しかみせず、学問的討論としては若干物足りなかった印象が強い。(P.153)
伝記の邦題で、"最強の経済学者"とつけられているように、世間一般では、フリードマンは、論争で常に白星を上げるという「神話」が流布しているが、それの再検討が必要だと思われる。
(参考文献)
渡辺良夫『カルドアの内生的貨幣供給論』
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/handle/10291/2062
木村雄一『N.カルドアとマネタリズム』
https://sucra.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=17657&item_no=1&attribute_id=24&file_no=1