「普通」で本当にいいですか?
自分は天才なんかでは全然ないけれど、
かといってものすごく愚かなわけでもない。
自分はいたって普通の人間です、と。そんな風に思っている人、多いのではないでしょうか。
でもこの「普通」という概念が人生の邪魔をすると思うことがあるんです。
1.「普通」だから大丈夫?
以前、とある腰痛の患者さんを診察した時に、
顔色は悪く、表情に覇気がなく、肥満でもやせでもない「普通」の体型だけれど、猫背気味で肩を落とした感じで座っている人でしたが、
レントゲンやMRI検査で腰を調べるも、構造上の問題は見つからなかったので、
私の見立てとしては筋肉の支持力が低下し筋膜の歪みが生じている状態だと判断、
食生活に問題があるのではないかと考えて、普段の食生活についてその患者さんに尋ねてみたところ、
患者さんから次のような答えが返ってきたのです。
「いや、食事は「普通に」一般的な食事をしていると思いますよ」
それを聞いて、さらに詳しく知ろうと、そも「普通」の食事とは具体的な内容を指すのかと尋ねるも、
肉とか魚とか、などという断片的な食品の情報しか引き出せません。
ここで私が感じたのは、その患者さんが本当に「普通」の食事をしていたかどうかは重要ではなくて、
その患者さんが「普通」と感じている時点でそこに問題意識を持っていないということです。
それゆえ私は、その患者さんに食事の問題点を指摘することの難しさを感じました。
2.「普通」でいる限り「問題」に気づかない
もしも自分では「普通」だと思っている場合に
「あなたは普通ではありませんよ」などと言われると多くの人はカチンと来るのではないでしょうか。
なぜ「普通」だと思うのでしょうか。そしてなぜ「普通でないこと」をそんなに嫌がってしまうのでしょうか。
おそらくは「普通」であることの安心感が大きいように思います。
人間も他の動物と同じように群れを成す生き物で、集団の中に溶け込んでいる感覚を心地よく感じる仕組みがあるように思いますが、
それを私達は「普通」という言葉で表現しているのではないかと思います。
ただ、普通であること、すなわち「みんなと同じであること」が必ずしも「問題がないこと」とイコールではありません。
極端に言えば、みんなが軒並み間違っている可能性もあるので、「普通」であることは残念ながら安住の地である保証にはならないのです。
むしろ、もしも今、自分の体調が悪いのであれば、自分が「普通」だと思っているその食生活に問題があるかもしれないと思って、改善のために行動を起こす必要があると思います。
しかし「普通」だと思っていれば、その行動を起こすことができない。
なぜならば「普通」は皆と同じようにやっているのだから、問題のある行動だとは思えないからです。
3.「普通」の殻を脱ぎ捨てよう
私はまず「普通」の概念を取っ払うということをおすすめします。
「普通」であることは確かに安心感が半端ないかもしれませんが、
裏を返せば、安心の殻の中に閉じこもって、新たな行動を起こしにくいということでもあります。
あなたが「普通」に過ごしていて、体調も何も悪くなくとても幸せに過ごしているのであれば、それでもよいかもしれません。
しかしもし、あなたが何かしらの体調不良に襲われたり、あるいはもっと大きく人生の困難に遭遇したりした際には、
その「普通」という概念そのものがあなたの問題を解決することを邪魔しているかもしれません。
まずは「普通」をやめましょう。そして「問題があるかもしれない」と自覚するようにしましょう。
問題解決行動を起こすためには、まず問題そのものを認識するところからです。
それに本当にもし「普通」が「平均的な状態」を意味するのであれば、
本当の意味で「普通」な人間はおそらくこの世にいません。
人には必ず得意なこと、不得意なことといった個性が存在します。その意味ですべてにおいて平均的な人間はありえないのです。
だから「普通」だと思っている人は、自分は「個性的な人間だ」と思ってみるのはいかがでしょうか。
そうすれば、何か困難を感じた時に個性の中から問題点に気づき、解決行動をとろうと思えるかもしれませんし、
何か新しいことにチャレンジする時に強みとして使えるようになるかもしれません。
さぁ、「普通」の殻を脱ぎ捨ててみましょう。
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