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あきらめて自分のできることに専念しよう

上には上がいる」なんていう言葉がありますね。

周りを見ると、自分よりも優れた才能を持つ人がわんさかいるにも関わらず、

自分にはたいしたことができていない。

そういう人は自分がダラダラしているこの時間にも人知れず努力を続けてきた人なんだろう。

それなのに自分はダラダラしてしまっていて、何もすごいことなんてできていない。自分はなんてダメな人間なんだ・・・。

何度そんな感情にさいなまれてきたことでしょうか。

でもよくよく考えれば、「上には上がいる」ってごく当たり前のことなんですよね。

それぞれ人は得意とする分野が違うわけですから。


1.上下関係はきりがない

例えば今、計算が得意なAさんと、文章の読解が得意なBさんがいるとしましょう。

Aさんは文章の読解力を高めようと頑張って勉強しているけれど、一生懸命頑張っているにも関わらずBさんの優れた読解力にはなかなか及びません。

この時Aさんにとって、Bさんの存在は「上」に見えているかもしれません。

一方で読解力が得意なBさん、計算は苦手でそれを克服しようと自分なりに努力をします。

そんな中、すらすらと計算を難なくこなすAさんの存在がとてもうらやましく見えてしまいます。この時、BさんにはAさんの存在が「上」に見えていることでしょう。

そんな風にお互いがお互いを「上」だと思い合っているという状況になってしまいます。客観的にはたから見ると変な状況だと思いませんか。

もっと根本的に言いましょうか。男性である自分は女性ではないので、女性の心の特徴などを読み取る力は女性よりも劣っているのは当然のことです。

あるいは年をとっている自分は若者ではないので、若者が今何に興味を持っているのかについて見抜く力は若者よりも劣っていて然るべきでしょう。

私が言いたいのは「人を上下で評価するのはよした方がよい」ということです。

それがたとえ先生と生徒、親と子のように教え教わる関係にあったとしても、です。


2.上下意識のデメリット

冒頭の話に戻りましょう。今自分には周りの人が優れて見えていると思います。

明らかに結果を出している人、その人は当然努力も人一倍していることだと思います。

だからと言ってその人を「上」、自分を「下」に見る必要は全くないということです。

逆に自分よりも特定の能力で比べた場合に劣っていると感じた相手のことを「下」に見下すのもよろしくありません。

上下意識は自己が成長するための競争心を呼び起こすという意味で有意義な側面もあるにはありますが、

上下意識を人生の初期設定としては利用しないことを私はおすすめします。使うとしてもたまに使うだけにしておきましょう。

なぜならば、上下意識には次のようなデメリットがあるからです。

①自己否定感が生み出されやすい(「上には上がいる」のは当たり前だから)

②相手の隠れた良さに気づきにくくなる

③自己と他者の一体感を阻害してしまう(意識が独りよがりの方向へ向かいやすい。ひいては幸せから遠ざかってしまう)

自分には自分にしかできない人生の役割があります。

上下意識を持ったままその事実を受け止めてしまうと、他人と比べて自分の価値を高いとか低いとかいう視点で捉えてしまいます。

良いとか悪いとかではなく、そういうものなのだと、それがあなたの役割だということを受容するといいのです。

私はよくマクロの構造とミクロの構造の共通性に注目します。

例えば人間の身体を構成する何十兆個もの細胞と、地球を構成する70億人以上の人間及びすべての生命体との関係をリンクさせて考えてみるんです。

そうすると、今地球の中にものすごく頑張っている人間と時々だらけてしまう人間がいるという状態は、

人間の身体に頑張っている細胞と休んでいる細胞がいるという状態とリンクします。

もしも人間の身体の細胞がすべて皆、軒並み頑張り続けている細胞となっていたらどうでしょうか。

それは身体全体がオーバーヒートしてしまって、全体としては病気にかかってしまっている状態と言えるでしょう。「交感神経過緊張状態」と表現したりします。

でも休んでいる細胞も適切なバランスで存在していたら、頑張っている細胞のよさも如何なく発揮することができて、身体全体としてはかえってパフォーマンスの高い状態を発揮することができているかもしれません。

ハードワークに休息が必要なように、人間の身体にとって休む細胞も必要なわけです。

そして地球全体によっても休む人間がいていいわけです。そうでないと地球全体が言わば「交感神経過緊張状態」となり、結果的にみんなが苦しむことになってしまいます。

それにダラダラしているって言ったって、常にそうしているわけではないですし、

その人が得意な領域だってきっとあるはずです。本人さえ気づいていないことはありえますが、それは必ず存在しています。

だからこそ周りを上下で評価せず、自分のできることを粛々とやり続けて、社会全体に貢献する、それでいいのだと私は思うんです。


3.異なる個性を統合した方がよい

もっと言いますとね。ということは自分のできることが限られているわけですから、

全体に貢献する何かをやろうと思ったら、異なる人達が手と手を取り合った方が絶対効率がよいということになります。

計算が得意なAさんは計算が重視される世界では生きやすいし、読解が得意なBさんは読解力が要求される世界で重宝されるかもしれませんが、

計算と読解をかけあわせることで生まれる革命は、AさんとBさんが力を合わせないとなかなか起こすことはできないでしょう。

身体で言えば、特定の筋肉ばかりつかって、他の筋肉を全然使わないような行為に相当します。

ずっと同じ姿勢で何か作業をやり続けているような行為ともリンクします。これは言ってみれば細胞が独りよがりになっている状態で、身体全体としては幸せではありません


だからすべての細胞に役割があり、頑張っている時と頑張っていない時とのバランス、

お互いがお互いの強みを活かしあい、お互いがお互いの弱みをカバーし合うようにすれば、

全体としてのパフォーマンスは高まり、結果的に皆が幸せな方向へと向かう構造があると思います。

だから周りのすごさに打ちひしがれる必要なんて全くありません。

そんな人には心から敬意を評しつつ、自分は自分のできることを粛々とこなせばいいんだと、

そんな自分にも言い聞かせるようなお話をしてみました。

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