迷子になってるヤツ、耳をかっぽじるんだ!
それはある日突然やってきた。
3月に中学校を卒業し、進学の決まっている高校へ4月から通いだすあの春、僕はとてつもない暗闇に迷い込んでしまっていた。
#思い出したくもない
少し前まで怖いもの知らずの元気な中学男子だったのに、気がついたら掴まるところのない真っ暗な崖の途中にいたんだ。どこにいったらいいのかわからないし、いつも目の前にモヤがかかってる日々だった。
一つは、変化した環境に馴染めなかったこと。
一つは、馴染む気もなく意固地だったこと。
その春は、新生活を早く自分のペースにしたくて、中学校の連れとも遊ばず、必死に耐え、”何か”がすり減っていくことを毎日体感しながら、ただ暗いだけの高校に通った。
そこにあったはずの”何か”、自分の自信みたいなものが、体験したことのないスピードで消えていってしまう。それは恐怖でしかなかったし、誰かに助けて欲しかったけど、そんな弱い部分を見せられるほど大人ではなかった。
この春の話は、もう20年以上も前のことだけど、今でも僕の春ワースト1位。
何をやっても上手くいかなかったし、好きなことも手につかなかった。いつもイライラしていたし、怒ってばっかりいた。
もし、あの春に戻れるなら僕に伝えたいことがある。
「よく耳をかっぽじって、聴け!」
この自信喪失の日々は、始まりの時とおんなじで、終わりも突然やってきた。
7月のはじめ頃だったか、距離をとっていた中学の友達が僕の家に遊びにきた。たわいもない話をだらだらとしただけなんだけど、、
「お前、どうして俺たちと遊ばないんだ?」
この一言、この日のなんてことのない会話が、真っ暗な春を終わらせた。
ただの暇人なのか、ほんとに遊びたいだけなのか、よく覚えていないがあの時の友人の一言は、不安定に震えていた心のど真ん中に音を立てて響いた。
中学卒業して3ヶ月くらい、ずっと誘ってくれていたのに、聞こえないふりしてずっと無視してたのに。
ほんとに小さいことだけど、必要とされることがすごく嬉しくて、すごく優しいことだなって少年の僕は思ったのだ。
今ではよくわかる。
自分が自分だと証明できるのは、求めてくれる人がそばにいる時だけ。
誰でも鏡の前に立たなきゃ、自分のこと見つめるのは不可能だもんな。
自分が理解できていれば、どこに向えばいいのか迷ったりなんかしないんだ。一人でウジウジしてちゃ、なんにも始まらない。
いつでも誰かが声をかけてくれてる、
そう思うようになって、
耳をかっぽじって、
優しさを一つもこぼさない様に生きていこう、って思った話。