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『統合失調症』という自分

統合失調症であった、数学者のジョン・ナッシュ博士は、周囲のサポートと自分の知性とで統合失調症を 寛解させた。

たった今、ナッシュ博士の生涯を描いた映画「ビューティフルマインド」をお父さんと観終えたところである。

私はこの映画を昔から何回と観てお手本にしてきた。

お父さんに、「私も昔は、本当にこんなだったんだよ」と言ったら驚いていた。

30代の頃、私が統合失調症について書いた文章を読んだ精神科の先生にこう言われた。

「症状を知性で凌駕することは可能なんです」

その言葉は大きかった。

私は幻覚に関しては10代の頃から徐々にやり過ごし方を身につけて行ったが、妄想と幻聴だけは、どうしたものかと思っていた。

例えば、盗聴される 妄想、思考伝播(自分の頭の中の考えが、周囲に漏れている、抜き取られているという妄想)、思考の混濁(長期間 ストレスにさらされる状態に置かれると、何も考えられなくなって何もできなくなること)などが妄想ではネックだった。

筆談 しかできなかった時期もある。
盗聴されているからである。

疲れて来たり、睡眠不足だと、症状は出やすくなる。

「疲れないようスタミナをつける」「ストレス環境に徐々に慣れていく」

わざと、一番混雑しているコンビニやスーパーなどへ行き、長時間立ち読みしたり買い物したりする。
これを繰り返すことで、ストレスに対する耐性が上がった。

幻聴だけはこれは如何ともし難かった。

しかしこれも、技を編み出した。

3年前、入院しているお父さんに会いに行くために23年ぶりにバスに乗ったのが 契機となった。

バスという密閉された空間に大勢の人がいる。
幻聴は100%出る。

そこで私は、幻聴が果たして本当に自分に向かって発せられた言葉であるのか、幻聴をよくよく耳をこらしてつぶさに聞いていくということを始めた。

幻聴を辿っていくと、それはただ、バスに乗車している人たちのそれぞれの雑多な会話のひそひそ話であり、それぞれの会話を分解していくと、誰が何を言っているのか、何について話しているのか、そこへたどり着く。

幻聴は、そうやって乗り越えた。

今私は 慢性期であるが、幻覚・妄想・幻聴の大部分は、生活に影響しないくらい、扱い方がわかった。

残るは希死念慮 であった。
「死」そのものに取り憑かれ飲み込まれ、「死ななければならない」「死んでしまいたい」そういった感覚に陥ることである。

そこで私は、「希死念慮をいかに表現するか」ということを始めたのだった。

時には文章で、この状態がいかに ホラーであるか、なんとかリアルに書けないか没頭し、時には 絵画で今しか描けないぞとばかり心象風景を描いていく。

起死念慮が始まったら、ここぞとばかり表現することに向かった。
これで乗り越えられるようになった。

「ビューティフルマインド」に触発されて、その昔、千葉大学の精神科の看護師のテキストを買い勉強もした。
実に統合失調症というものは、不可思議 な病気だった。

脳というものは不思議である。
統合失調症の専門書が出るたびに購入し、最新の情報を得た。

私の脳には、一旦 萎縮したところから、脳が再生し、元に戻った跡がいくつもある。

MRI を撮るたびに発見がある。

「前頭葉が萎縮していた時は、これとこれがどうしてもできなかったな」
「視覚言語野 が萎縮していた時は、これとこれがさっぱりできなかった」
「脳室が委縮していた時は、自分はこれが さっぱりだった」

何か大きな症状の後には必ずMRI を撮る。もはや私の趣味である。

一つ問題があった。
「統合失調症の患者」という世間の偏見である。

どこの科でも病院で、看護師や医者などによっては、あからさまな扱いを受けることがある。

この偏見と戦うということが厄介である。

どうせ 書けないでしょう と言って、勝手に問診票を書く看護師もいれば、診察で頭っから小馬鹿にする医師もいる。

そういう経験をすると やっぱり凹む。

それと戦うことの方が、幻聴・幻覚・妄想・希死念慮と戦うよりも、ほとほと 厄介である。

こればかりは自分が強くならなければならないからだ。

そんなこんなしているうちに時が過ぎ、私は立派なオバサンになった。
押しも強くなれば、言うことはハッキリ言いうようになり、だんだんとこういった事もバカらしくなってきた。

そうやって、10歳で発症してから統合失調症と付き合ってきて、51歳になった。

「認知機能障害」という、「昔出来ていた事が出来なくなる」という「持ち得る能力の衰え」と、現在 格闘中である。

お風呂に入るのが苦手だ。
陰性症状後始まった、「入浴 困難」。
Twitter に「風呂に入る 宣言」の動画を上げて後に引けなくして、「風呂 コンプリート動画」を意地でもアップするんだと、毎回それで 乗り越えている。
週に1回の入浴、それ以上は今のところ 無理である。

片付けや掃除が、恐ろしいほど負担である。
これは 福祉の力を借りて、ヘルパーさんに手伝ってもらっている。

ATM の「振込のやり方が分からない」。
これはもう 郵便局の人たちに病気のことを話して、いつもいつも手伝ってもらっている。

コンビニの複雑な機械やコピー機など。
自分では出来ないので、人の手を借りている。
瞬く間にパニックを起こすからだ。

そんなこんな、私は欠損した人間であるが、世の中の8割の人たちは優しい。

「申し訳ありません。障害があって出来ないんです、力を貸してください」
そう言うと、ほとんどの人が優しく手伝ってくれる。

統合失調症のお陰で、「人の善意」に触れることが多々あり、おそらく健常者と呼ばれる方々 よりも、「人の気持ちに感動させられる」という経験は多いのではないだろうかと思う。

おかげで 私は、「お陰様だなあ!」「ありがたいなぁ!」と、ほぼほぼ毎日、いろんな人に感動させられ、日々が豊かである。

重度の発達障害に生まれ、その2次的障害として早くに統合失調症 罹患してしまい、「精神障害者」というものとして生きてはいるが、それもなりなりの人生である。

人に迷惑をかけ、人を傷つけ、親を泣かせるほど重篤な時期もあった。
障害者1級の頃は寝たきりで、薬の副作用から食べてばかり、85キロまで太った。

しかし 生きてきて、今現在私は 豊かだ。

来世で、また統合失調症に生まれることに決まったとしても、その時は自分に言いたい。

何も悲観することはない、歳をとるごとに、人のありがたみが分かってくるから。

自分が痛みを経験した数だけ、人の痛みが分かる ぶん、人にしてあげられることが多いから。

それを考えると、統合失調症に生まれて来ても、特段 悪い人生じゃない、これもまた良い人生だ!

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卯月妙子
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