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1組のアイドルとの出会いが、人生を大きく変えた話

BTS
今や世界的人気を誇る韓国のアイドル
いや、もはや「アイドル」の枠を大きく超えたアーティスト

彼らに出会ったのは
私がパニック障害や不安障害を抱え、近所のコンビニに行くことすら困難だった頃

心身ともに健康で、元気だけが取り柄だった私は
ある日突然、体の病気と心の病気を併発した。

自覚がなかった心の病

当時の私は、絵に描いたような社畜だった。
平均睡眠時間は2〜3時間。ゴハンは食べられても栄養が偏り、食べられないこともしばしば。休日返上は当たり前で、出張しても出張手当はなし。
賃金も業務内容に見合わない低さで、家賃補助がないから都心にも住めず、郊外の実家から片道2時間かけて通勤する日々。

それでも当時の私にとっては仕事は楽しくて、自分の仕事が社会に影響していく様を目に見えて感じられることに、この上ないやりがいを感じていた。
この仕事こそ天職で、ここで働くことが幸せ。本当にそう思っていた。だから過酷な状況でも頑張れた。当時得られた経験は、紛れもなく私にとっての財産になっているのは間違いない。

でも、体は正直だった。
ある日、出張で沖縄に向かう飛行機の機内でふと気付いた。次の日の仕事で必要な資料にミスがあるかも知れない、と。
紙媒体で既に印刷済だったために、機内で絶望したのを覚えている。ミスの内容としては些細なものだったのだが、とにかく完璧を求めた自分にとっては許されざることだった。

どうしよう、どうしよう、どうしよう!!!!!

そうやって焦っているうちに、突然右胸に激しい痛みを感じた。「あれ?なんだこれ…」と思ったのを最後に、私は意識を失った。

次に気付いた時には那覇空港内で、救急隊の方々に担架で運ばれている所だった。そのまま那覇市内の病院に救急搬送。即入院となった。

体中を検査したが、どこにも異常はなかった。
おそらく、相当に強いストレスが原因だろう、と診断された。

これがトリガーとなり、この後の私は出勤中の電車や仕事中の社内で、頻繁に倒れるようになってしまった。3ヶ月で5回も救急搬送された。
倒れる時は意識を失ってしまうから、自分では何も覚えていない。意識が戻ると毎度救急車の中。最後に倒れた日から1週間は、入院していろいろな精密検査を受けた。MRI、CT、脳波はもちろん、意識を失ってしまうからなのか、知能検査までされた。知恵の輪解いたり。でも、やはり異常は見つからなかった。
先生曰く、「意識を失って倒れることで、強いストレスから逃れよう(自分を守ろう)としているのではないか」とのことだった。

入院3日目、会社の上司がお見舞いに来てくれた。と思ったら、その手には私の社用PCと社用携帯。「仕事をしてくれ」と言われた。
幸か不幸か個室に入院していたため、電話で話そうとPCのタイピング音を響かせようと、何の問題もない環境だった。
「入院中でも仕事を続ける自分」を、当然の如く受け入れた。むしろ「体調不良でもバリバリ仕事できる私すごい」という謎の自己陶酔に浸っていた。
今思い返すと本当にあり得ない状況なのだが、それが「おかしい」と思う感覚を、当時は全く持ち合わせていなかった。

午後、回診に来た主治医が、ベッドの上で仕事をする私を見て激怒した。
「あなたはどうしてここに入院したかわかっているんですか!?何を考えているんですか!今は脳を休ませる必要があるんです!!」

でも先生。仕事はしなきゃ。私が、今、やらなきゃいけないから。休んでる暇なんてないから。それが使命だから。

ずっと、この仕事は私にしかできないという自信と誇りがあって。だからこそ、この状況こそが幸せなんだ、こんなに生きがいと思える仕事は他にない!と思いながら激務をこなしていた。でも、実は心身ともに悲鳴をあげていて。無意識に「逃げたい」と思っていたんだと気付き、とても驚いた。
「ストレスは、自覚症状がない時が一番危ないんですよ」と先生に言われた。

なんで?そんなはずない。だって楽しかった。やりがいがある仕事をしてた。間違いなく自分は社会の役に立ってた。ストレスなんて、絶対に無縁の人間なのに!

受け入れられない。納得できない。
でも体は拒否している。
どうしたらいいか、わからなくなった。

絶望的な生活

それからというもの
某有名企業でバリバリ働いていた数日前とは、まるで正反対の生活に突入する。仕事は退院後、そのまま休職した。


  • 他人に迷惑をかける恐怖

  • いつどこで倒れるかわからない恐怖

  • 周囲から好奇の目で見られるのではないかという恐怖

  • 自分が社会から隔離されていく恐怖

  • 自分が何の役にも立たない穀潰しとなった現実


外に出られなくなり、人と話せなくなり、大好きだった音楽すら聴かなくなり…何事にも無欲で、あるのは絶望と恐怖のみ。

まさに廃人のように引きこもる日々。
仕事を途中で投げ出してしまい、誰かに迷惑をかけている後ろめたさ、気まずさ。それを考えるだけで眩暈がし、動機も半端なく、パニック発作が出る。
発作が出ると、過呼吸になり胸に痛みが走る。その痛みは、最初に飛行機で倒れた時のことを思い出させる。

「やばい、倒れたくない、やだ、怖い!!!!」

そのループで、落ち着く時間はほとんどなかった。

「自分はどうしようもない人間だ、こんなことでダメになって、クソみたいな人間だ」

永遠に自分で自分を責めて。それがまた自分を追い込むという負の無限ループ。

このループから抜け出すだけの気力と思考を、当時の私が持てるはずもなく。ネガティブはネガティブしか生まないんだなと、身をもって実感した。

そんな私を見て、母や弟、友達は凄く心配してくれていた。
中でも母の精神的ダメージは尋常ではなく、怒りや悲しみの矛先は全て私の会社に向かった。私自身も、「こうなったのは全て会社のせいだ」と会社を責めることで、なんとか自分を正当化して保っていた。もちろん、会社側の体制も悪い所は多々あった。でも私だってただ言いなりになっていた。それが「求められている幸せ」なんだと思い込んでいたから。そんな自分も良くなかったのは間違いない。頭ではわかっていたけど、それでも会社を責め続けた。

何にも希望を見出せない日々
家族を悲しませる日々

つらかった。本当につらかった。地獄みたいだった。

泣きたいわけじゃないのに涙が止まらなくて、おなかが空いてるのに食べ物が喉を通らなくて…気付けば体重は20kgも減って(今となってはコレは本当に良かったと思っている)

母は、とにかく毎日泣いていた。
もう二度と、私が元の姿には、元の生活には戻れないんじゃないかと。

私もそう思ってたんだ。
あの日、BTSに出会うまでは。


一筋の光

そんな生活になって5ヶ月
最終的にはストレス起因で身体的な病気も発症し、一生投薬治療が必要になるとの診断を受けた。でも、転院に転院を重ねて素晴らしい先生に出会えたおかげで、少しずつ気力は戻り始めていた。

好きだった音楽を聴けるようになり、サブスクやらYouTubeで新しい音楽を探せるくらいまで回復した。

そこで出会ったのが

BTS

…衝撃だった
体にカミナリが落ちる感覚てコレか!と。

一瞬で虜になり、一瞬で彼らのことを片っ端から調べた。久しぶりに、病気のことを忘れて夢中で過ごした。

自分より7歳も8歳も若い子達が、こんなに素晴らしい音楽を奏で、ハイクオリティーなパフォーマンスで世界中を魅了し、たくさんのファンに愛と笑顔を届け、幸せにしてあげている。

その計り知れない努力と苦悩、メンバー間、そしてARMY(BTSのファンの総称)との強い絆、7人それぞれの人間性が垣間見れた時、それまで真っ暗で、何も見出せなかった私の未来に、一瞬で光がさしたのだ。

あぁ、何してるんだろう私は。こんな風に部屋に閉じこもってちゃもったいない!!!

私はまだこれからだ。まだできることがあるんだ。BTSが輝いている姿を見ていたら、私もきっと頑張れる!勇気を貰える!!!

「あんなに絶望していたのに、BTSに出会ったあの日から、嘘のように希望に満ちた表情で笑うようになったんだよ」と母は振り返る。
私のように、一瞬で愛と勇気と希望を貰った人は、世界中に何万人もいるんじゃないだろうか。
まさに、私にとっての救世主。ヒーローだった。


復活の兆し

それからの私の復活ぶりはめざましい。

まずは外に出る練習
最初は自分の家の周辺をぐるぐる歩き、それに慣れたら最寄のコンビニまで歩く
それができるようになったら、最寄り駅まで歩いて人が居る場所に慣れる練習。カフェで1時間お茶をしてみたり。

少しずつ外出の距離をのばして、半月ほどで電車に乗る練習もできるように。
最初の頃は、過呼吸や目眩、動悸に震え、吐き気に加え、激しい恐怖心に襲われた。逃げ出したくてたまらないのに、次の駅に着くまでは密室状態で絶対に降りられないという状況。ひたすらパニックになった。

電車は本当にキツくて、しばらく母に付き添ってもらいながら乗った。パニック障害を抱えている人間にとって、電車やバス、飛行機などといった乗り物は本当に恐怖でしかない。人目もたくさんあり、かつ密室なのだから。これは経験者にしかわからない感覚だと思う。
いい年して、付き添ってもらわなきゃ乗り物に乗れないのか、という恥ずかしさや悔しさもあったけど、「付き添ってもらっている」という状況は周りにはわからない。ただ親子で出掛けているだけにしか見えないはず。そもそも自分が思うほど他人はこちらを見ていない。そう言い聞かせ、そんな自分を受け入れながら日々頑張った。

その原動力は他でもない

元気になって、BTSのコンサートに行きたい!!

それだけで、人は頑張れるのだ。

地道な努力のかいもあって、日に日に人間らしい生活を取り戻した私。休職していた会社を辞め、社会復帰のため(いや、BTSのコンサートに行くお金を稼ぐため)に、あまり個人的な責任を感じず、背負わずに働ける派遣社員での職を探した。(適当に仕事がしたいという意味ではなく、正社員や契約社員といった立場を離れ、ゆっくりと働きたかった)
もちろん、体調が万全な日ばかりではない。そういう時は彼らのダンス練習動画などを見ては元気をもらい、笑顔を取り戻した。

新しい職場の採用面接の日

そもそも朝の通勤ラッシュ時の電車に乗れるのか?採用してもらえるのか?採用されてもちゃんと働けるのか?また人前で倒れるんじゃないか?知らない人に迷惑をかけるんじゃないか?

…あらゆる不安や恐怖から、「もう無理だ」と面接をばっくれようとした。でも、母が「やっと掴んだチャンスなんだから、ちゃんとしなさい!!」と喝を入れてくれ、面接会場まで付き添ってくれたため、なんとか面接を受ける会社にたどり着いた。
家族や先生以外の人と話すのは凄く久しぶりだったけど、元々話すのが好きな性格だったため、話し始めたら楽しくて止まらなくなった。
前職での経験や自分の強みを、これでもか!というほど流暢にアピールした。派遣会社の営業担当も「私、必要なかったですね…」というほどに、1人で完璧な面接をこなした。正直、手応えしかなかった。

翌日、採用決定の連絡をもらった。

こうした積み重ねや成功体験を経て、いろいろなことをポジティブに捉え、光を見出す気力と思考を取り戻した。
ここまで回復できたのは、主治医の言葉の影響も大きい。なかなか踏み出せないでいた私に、先生はこう言ってくれた。

「考えてみてください。家で1人の時に倒れて、誰にも気付いてもらえないより、外で人目がある場所で倒れた方が助けてもらえる。迷惑をかけちゃいけないなんて考える必要はない。今までだって毎回、周りの人はちゃんとあなたを助けてくれたでしょう?知らない人だろうと、絶対に助けてくれるから。大丈夫。たくさん外に出よう。」

そうだ。
人に迷惑をかけずに生きていける人間なんて1人もいない。
大切なのは「迷惑をかけないようにする」ことではない。
助けてもらえるんだ。絶対に。
だから積極的に外に出よう。
そして、もし私が逆の立場になった時は、絶対にその人を助けよう。
社会というのは、そうやって成り立っているんだ。

この時の先生の言葉は、深く深く私の心に刻まれた。
今でもたまにネガティブに陥りそうになるが、その度にこの言葉を思い出す。捉え方次第で、こんなにも思考は変わるのだ。

社会復帰に向け、先生がくれた最高のエールだった。


リスタート

鬱と不安障害を抱えてから半年。BTSに出会って1ヵ月半。
私は無事、社会復帰を果たした。
同じ病いや経験を抱えている人の中では、復帰は早い方だったかも知れない。

多分、BTSに出会ってなかったら、傷病手当が貰える限界まで引きこもり、そのままパラサイトシングルとして生きていた気がする。

病気になって、自分をちゃんと労わることを学んだ
何よりも自分が1番大事なんだと知った
できないことをできないと言う必要性がわかった

完璧である必要は全くないんだ、迷っても間違えても、やり直しはきくんだ
そして時には、あきらめることも大事なんだ
人は誰だって、いつだって、始められる。やめられる。そしてやり直せる。落ち込んでもいつかは前を向ける。

何より、誰かに頼ってもいいんだと、抱え込まなくていいんだと、私は独りじゃないんだということに気づけた。

病気にならなければ知ることがなかったこと。自分の大切さ。家族や友達の大切さ。
病気にならなければ、BTSとも出会っていなかったかも知れない。

そう考えると、病気には心から感謝していて
もう一度這い上がるきっかけをくれたBTSにはもっと感謝していて

社会復帰して約3年半経つが、BTSのメンバー間の思いやりの大きさ、ARMYへの愛の深さを目の当たりにしていると、私自身も愛に溢れた人間になれてきているなーと思う。明らかに社畜だったあの頃より、自分にも他人にも、優しくなれているから。

BTSの音楽を聴いて、活動を追いかけていると、物事に対しての思考がポジティブに変換できるようになる。やりたいこと、行きたい場所、増えてく一方だから、本当に時間が足りない!もっといろんなことに挑戦したい!

BTSのおかげで私は、何事にも常に意欲的で、物事を多面的に捉えられるスーパーポジティブ人間に変わりつつある

そのひとつに、韓国語がある。初めて語学に興味を持ったのだ。

BTSのメンバーが何を話しているのか、彼らの考え、思い、全てをそのまま、字幕なし(意訳なし)で理解できるようになりたくて。
何事も3日坊主の私が、3年半経った今も一生懸命勉強しているんだから、この気持ちは本物だなと思っている。

そしてもうひとつ。
私は更に新たな挑戦をしている。
一昨年から某私立大学の通信教育課程に入学したのだ。

専門学校卒だった私は、これまで学歴をコンプレックスに感じたことは一度もなかった。仕事ができれば(自分で言っていて恥ずかしいが、それくらいポジティブに自信を持てるようになった)、学歴は関係なく大手が雇用してくれたからだ。

そんな私がなぜ、大卒を目指したのか。
とてつもなくミーハーな理由ではあるのだが、BTSの所属事務所であるHYBEに転職したい!!と思ったからだった。
大卒がほぼ絶対条件という韓国企業。応募すら、チャレンジする資格すらないなんて。

こりゃもう今からでも学位を取って、HYBEに入社したろうやないかい!!!

と強く思うようになったのだ。廃人時代の自分からは考えられない発想だった。
その日のうちに願書を取り寄せ、母校の専門学校から成績証明書を発行してもらい、入試?扱いの小論文を提出し…
思い立ってから出願まではたったの1週間。こういう時の自分の行動力には自分で感心する。

こうして、現在は経済を学んでいる。進捗は決して早くないが、自分のペースで進められるから全く苦ではない。むしろ楽しい。
この意欲を10代の時に持てていたら…とも思うが、どのタイミングにせよ気付いて実際に行動できている自分は褒めたいと思う。

きっかけがどうであろうとも、例えそれが最終的には叶わぬ夢だとしても、学ぶことは人生において、絶対にプラスでしかない。絶対に何かしらに活きる。
現在、フルリモートで働いている自分にとって、またとない学びのチャンス!この機を逃してはいけないと、仕事と両立して勉強を頑張っている。
何年かかったとしても。絶対に卒業する!!

あんなにネガティブで廃人だった私が、BTSのおかげでここまで復活できた。本当に、彼らには、感謝してもしきれないのだ。

私にとってBTSは、ただのアイドルではない。
生きる希望であり、目標であり、道標そのものなのだ。

さぁ、今日も明日もBTSの音楽を聴きながら、仕事に韓国語に大学の勉強に、充実した1日を送ろう。
そうやって、幸せと希望に満ちた毎日を過ごそう。

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