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子育てと親のケアを同時にやってきた10年間で学んだこと

3人の息子がいる。

三男がまだ1歳の時、両親が同時入院をし、子育てと親のケアとのダブルケアが始まった。ただでさえ誰かの手を借りたい1歳3歳5歳の育児中だった。

5年前に母が他界し、今は父のケアをしている。
父は抗がん剤治療を乗り越えたが、かなり痩せ細ってしまった。腸を切る手術もしているから、便秘にも悩まされている。薬の量は増えていき、説明書きは3枚にもなる。

思い出したくないことも多いからか、脳は全部を記憶しているわけではない。忘れることは生きていくために必要なのだろうと身をもって感じている。

今、子育てしながら親のケアをしている人ってどのぐらいいるんだろう。少し前の私のように自分のことを後回しにして、毎日最大限頑張っている人がどのくらいいるんだろう。

そんな人はnoteなんて読んでいる暇はなく、届く事はないのかもしれないけれど、頑張りすぎないで、自分のことも大切にしてほしくてこの記事を書いている。


 
両親が2人とも入院になった時、同じ病院には入院させてもらえず、車で30分の病院と病院を行き来していた。
一番辛かったのは、長男の幼稚園バスが帰ってくる時間までには帰らなければいけなくて、まだ授乳中のお腹がすいたと泣き叫ぶ三男をチャイルドシートに寝かせたまま車を走らせていたことだ。

1度授乳が始まると、20分ぐらいはかかってしまう…
そんな1番優先しなきゃいけない時間すらとれなかったくらいだった。

思い描いていたような「子供にしてあげたいこと」が、思うようにできないことがものすごくストレスだったし、目の前で起こる両親の病気や手術一つ一つがグサグサと刺さった。

私が頑張れば、主治医の先生ともっと話せば治療法が見つかるんじゃないかとか、その病気に関して有名な先生のところに連れて行ってあげたら治るんじゃないかとか、自分でどうにかできることを超えて、1人で抱えきれないところまで頭が働いてしまって、それが私を苦しめた。

つまり、親と自分との間に線引きができていなかったのだ。親だけど私とは別の人であり、親の人生なのだと。

親自身がいろいろな選択をして今に至ったわけで、病気になったことも、私の責任ではなく、親のことなのだ。

親が苦しんでいる姿を見て、辛くなってしまうのは仕方がないと思う。悲しい気持ちも辛い気持ちもそこにあっていい。今はそう思えるけれど、当時はそんな気持ちに蓋をして、ずっと泣いていられないからと向き合わずに、毎日起こることに一喜一憂して。でも前だけ向いて頑張ろうとしていた。


 
そんなことを続けていた私は体に少しずつ心の叫びが現れ始める。

喉に異物があるような違和感を覚え、耳鼻科を受診するものの、喉はなんともない。
手足がしびれているような感覚があって、内科を受診するものの、脳の検査をしても特に何もなく、自律神経の乱れだと言われるなど。
大きな病気は見つからず、ストレス、疲労が原因だと言われるような症状ばかり。

自律神経って目に見えないからわかりにくいけど、そんなに体に影響を与えるものなんだとびっくりした。
  

ヨガも知らない呼吸法も知らない当時は、乱れまくっていたのだと思う。5歳3歳を育てながら、1番下は授乳もしていて、ただでさえぐっすり眠れない状況で、よくやっていたと思う。よく倒れなかったと思う。

当時はできなかったけれど、今なら、ケアする立場の自分が元気でいるために、セルフケアの時間を取ることや少し横になるということを選べる。

むしろ休まなきゃだめだよ!と声を大にして伝えてあげたい。休むことに罪悪感を抱く必要はなく、自分をケアして自分が心地よさを感じることに罪悪感を抱く必要なんてないんだよ!と。

ほら、飛行機でも、助けてあげたい子供が隣にいるならば、1番先に自分に酸素マスクをつけなくてはならない。あれだ。

頭でわかっていても、それを選べるかっていうのは、また別のことだっていうのもわかっている。自分だけ心地良いことの罪悪感がストレスになることもあるって言うことも知っている。

でもどうか、どうか、自分ファーストでいてあげて。自分を守れるのは自分だけだから。

十分頑張っている。
限界を超えてるよね。よく頑張ってる。
今日も本当によくがんばったね。
休んでいいんだよ。
もう休もう。あたたかくして。

自分にいつもありがとうと
優しく声をかけてあげてね。

今日もいちにちおつかれさま。






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