たまには尼さんらしい話をしよう。十善戒について。
みなさまこんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
私は石油ファンヒーターの前で、相も変わらずノートパソコンと向き合っています。
中古で1万5千円ほどのヒューレットパッカードは、今日もサクサク動いてくれております。
さて。
すっかり忘れておりましたが、私は一応「尼僧(にそう)」です。
つまり、坊さんですね。
2014年に得度を授かり、師僧より僧名をいただきました。
本山に、尼僧として登録もしてあります。
ただし。
私は修行をしていないので、お葬式をはじめとする、仏教儀式を執り行うことはできません。
お経は唱えることができます。
般若心経は、小学校に入学する前に暗記しました。
つまりは、「ペーパー坊主」なのです。
いつか本山で修行をしたいと思いながら、夫と猫をほったらかしにして、半年ほど家を空けることができませんでした。
なぜ、ペーパーとはいえ、尼僧になったのか…
ま、ご縁、とだけ言っておきます。
さて、そんな私ですが…
今回は、ちょっと仏教的な話をします。
十善戒、という教えが、真言宗にはあります。
「じゅうぜんかい」と読みます。
これは、日々の暮らしの中で心がけたい行動を、十にまとめたものです。
難しいことではありません。
ひとつずつ、見ていきましょうか。
不殺生
ふせっしょう。
読んで字のごとく、殺生をしない。
しかし、生きるためには、どうしても殺生をしないといけない。
ですので、「むやみに生き物を傷つけない」と解釈されています。
生き物を大事にしましょう、ということですね。
これは、私も心がけています。
生き物(動物・植物)は好きなので…。
不偸盗
ふちゅうとう、と読みます。
ちょっと難しい言葉ですね。
「ものを盗まない」という意味です。
他人のものを尊重しよう、とも解釈されます。
人のモノを盗む趣味はないので、私もこれは大丈夫です。
きちんと守れていると思います。
不邪淫
ふじゃいん、と読みます。
男女の道を乱さない、不倫をしない、という教えです。
これは…まったく自信がありません。
今の夫と知り合ってから、浮気をしたことはありませんが…
過去は、この不邪淫戒を犯しまくってました!!!
不倫も一度や二度では…
でもね。
今はきちんと守れていますよ!!!
不妄語
ふもうご、と読みます。
嘘をつかない、という教えです。
嘘はついていませんが、夫に明かしていない秘密はあります。
今も時々、人生で最初の彼氏とLINEをしているとか。
不綺語
ふきご、と読みます。
無意味なおしゃべりをしない、という教えです。
えーーー。
無意味なおしゃべりかぁ。
割とするかな?
違う解釈ですと、「ビッグマウスにならない」という教えになります。
これは大丈夫かな。守れてる…かな。
私は時々、調子に乗って、大きなことを言ったりしますが(笑)
不悪口
ふあっく、と読みます。「ファック」ではありません。
乱暴な言葉を使わない、という教えです。
あ…これは守れてない。
時々毒を吐くし、職場に嫌なお客さんが来ると、
「さっさと帰れよクソジジイ」
などと、マスクの下でほざいております。
時と場合によりますが、私は相当に口が悪いです。
不両舌
ふりょうぜつ、と読みます。
筋の通らないことを言わない、二枚舌を使わない、という教えです。
これは、割と気を付けてるかな。
いけてる気がします。多分。
不慳貪
ふけんどん、と読みます。
欲深いことをしない、という教えです。
欲深い…どうでしょ。
「性欲」はそれなりに。あ、違う?
物欲はあまり無いですね。
あれもこれも欲しい、ということはありません。
5匹の猫、メガネの夫、そして愛用のヒューレットパッカード。
そして酒とタバコ。
これだけあれば、じゅうぶんです。
不瞋恚
これまた難しい漢字ですが…
ふしんに、と読みます。
耐え忍んで怒らない、あるいは、毎日笑顔で過ごそう、という教えです。
これは、守れていると思います。
夫に対して、キレたことはありません。
言い換えれば、夫は私がガチギレした姿を見たことがありません。
夫とケンカになりそうな時は、一人で姿を消します。
そして、近所の居酒屋で時間を稼ぎ、夫が寝た頃に自宅に戻ります。
息子から見れば、「母上はなんで、あんな理不尽に耐えれるんやろ?」と思うそうです。
息子に言われたことがあります。
「母上の良いところは、人を許せるところ。でもアカンところは、人を許しすぎるところ」
わが息子ながら、的を得てるな、と思いました。
余談ですが、息子は私のことを「母上」と呼びます。
もっとも、なぜ私が夫の理不尽に耐えられるのかと…
以下省略。
イケメンは正義。
不邪見
やっとラストです。
ふじゃけん、と読みます。
まちがった考え方をしない、という教えです。
これは…難しいですね。
何が正しくて、何が間違っているのか。
まぁそういうことではなくて、正しい判断をしよう、という教えでもあります。
そう考えると、私がnoteを始めたのは、間違っていなかったと思います。
最後に
こうして、改めて十善戒を見直すと…
なかなか難しいですね。
あ、難しくもないか。
でも、いざ実践するとなると、なかなかできないこともあります。
できる・できないではなく、やってみる、心がける、ということが重要なのではないでしょうか。
そうすることによって、より仏に近づけるのではと思います。
あー、たまに真面目なことを書いて、疲れましたわ。