文化人類学者が書いた自分史の名作「母の声、川の匂い」/記憶の底まで降りていったとき
作者の川田順造さんは、1934年(昭和9年)、東京下町(深川)に生まれた。
タイトルの川の匂いというのは、家の前を流れていた小名木川のことのようだ。この川のほとりで暮らした幼い頃と未生以前(生まれる前)の記憶を書き記した「自分史」が本書である。
約20年間を経て刊行された「自分史」
川田さんは、ヨーロッパやアフリカ、日本など、長年に渡り民俗学的な調査を続け、大きな功績を残されている文化人類学者だ。
1982年(川田さん48才)、雑誌の巻頭エッセイを依頼されたことをきっかけに、江戸=東京について、おりに触れて書いたものをまとめて刊行するという企画が立てられた。しかし、川田さんの多忙さもあり、本として世に出たのは、20年以上を経た2006年のことだった。川田さん、齢70才を超えた頃である。この本が刊行されたことについて、「いままで私もいろいろな本を出したが、今度くらい出来上がってうれしい本はない」と巻末で書いている。
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これらの情報を知ったとき、本という形になることが大幅に遅れたことが、もしかしたら良い方に働いたかもしれないと思った。50才手前で書かれたものよりも、70才を迎えた頃の本心の声の方が、より深い思索に支えられているはずで、それを知りたいと私は思うからだ。
自分史を書く動機と記憶の底に降りること
本書は、『「自分史」という過去のとらえ方がある』の一文から始まる。
そして、自分史を書くに至った動機と、記憶の底に降りていくことについての考察が続く。
忘れていた記憶と感覚が浮上してくるとき
記憶が浮かぶきっかけは生々しいもので、匂いや音や光など、底に沈んでいた五感の残照が、何かのしるしによって呼び起こされるのだ、と川田さんは書いている。思い起こされるのは、重箱の中の草餅のきな粉の香り、川の水の反映、温くてざらざらしたコンクリートの感触、部屋の仄暗さ‥‥
次の文は、味にまつわる記憶の場面だが、おそらく多くの人も、自分だけの味の思い出があると思う。それは美味しいだけではない、また別の、舌や口腔内の感覚だったりする。
文化人類学者と日本の片隅の文化
これを発端に、様々な記憶がよみがえる。それらの記憶や感覚は、川田さんが絶縁したいと思っていたものであったが、それは青年時代に理想化が働いていたことによる自分自身や地域に対する嫌悪感からくるものだったのだ、と気がつく。
しかし、かつては否定していた日本の片隅のみすぼらしい文化も、数多くある人間の存在容態の一つとして、おもしろく眺められることができるのではないか、その様に対象化する事で、「私」と「人類」との距離を測ることができるのではないか、と考えるようになる。
ここから先、幼かった自分が見た(体験した)記憶と緻密に調べられた地域の歴史が、交差しながら語られていく。特に、東京大空襲を含め戦争にまつわる出来事は、川田さんの人生に(もちろん家族をはじめ多くの人にも)大きな影響を与え、読み手としても強い印象が残るものであった。
地下の小部屋で涙を流す
実は私はこの本を読み終えたとき、地下の小さな部屋にいた。機械音がひっきりなしに聞こえるのだが、それに慣れて仕舞えば、逆に人から離れたしんとした静かな空間に思えてくる。
だからか、川田さんの仄暗い記憶の中にいるかのような錯覚を覚えなくもなかった。人の記憶は楽しいものであると同時に悲しいものでもある。涙を流しながら、とにかく、そのとき私が確信したは、この本は自分史の名作だ、ということだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。これからも、自分史や回想にまつわる本を紹介してきます。ぜひ、また、読みに来て下さい。