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信頼感は波のようだ/「似顔絵を描かれる修行」③

似顔絵修行を始めて似顔絵を引き寄せるようになってきたのか、先日、思いがけない角度から、似顔絵を描いてもらう機会がありました。

以下、これまでの記事。

仕事の用事で、絵画教室で打ち合わせをしていたところ、生徒さんの一人から、「新しい絵の具を買ったから練習に描いてもいい?」と、突如、言われました。

目が泳ぐ。いつもならすぐにでも辞退するところですが、似顔絵修行のことが頭によぎりました。

すると、「大丈夫、誰か分からないように描くから」と、追加のお言葉。私、「いやいや、緊張するから…」と言いつつ、頭のなかでは、これは乗り越えるべく与えられたチャンスかも、イヤしかし、イヤしかし…と、二人の私が激しくもめます。

そこへ、最後の一押し。「見えない場所から描くから」とのことで、「……じゃあ」とお願いすることにしました。

結論。

見えない角度から描かれる分には、そこまで意識せずに済むので、プレッシャーがそれほどではありませんでした。(たまに気になる。)また、打ち合わせという作業に集中しているので、気にしている暇がなかったこともあります。やはり、真正面から見られている(観察されている)という圧と自意識が、緊張を引き起こす鍵であったと推測されます。(でもこれって、動物として自然なことじゃないかと思うんですよ。)

また今回の場合は、いつもの似顔絵とは条件が違いました。①描いている人が顔見知りだった。②私が眼鏡(…老眼)をかけていた。③今回の絵は似顔絵ではなく人物画として描かれた。

①互いにある程度の信頼関係があり、描き手さんの画風も知っていたため、最悪にはならないだろうとの思いがあった。

②マスク程ではないにしろ、眼鏡をかけていると顔が少し隠れているような気がする。

③似顔絵は特徴を似せるため、身体的特徴をオーバーに描かれる可能性があるが、人物画として描く場合は、そもそも「人物」であればいいのであり、作家のタッチによっては本当に誰であるか分からない。

以上のことより、私にとっては、相手との関係性、つまり、不意打ちのようなショックは与えてこないだろうという「信頼感」が肝なんだと分かりました。

そして、信頼感というと揺るぎないもの(地盤のような)というイメージですが、きっと、信頼感って実はかなり不安定なはずで、「そこは信じて」とか「そこは気を付けて」みたいな感じかもしれないなと。

サーファーが波に乗る時のように、常に形を変える「疑念と信頼」という波に対して、身体の力みを抜いて、重心を変えながらバランスをとることが大切なんだと気づいたのです。

それにきっと、信頼感を求めるってことは、考えようによっては、常に自分の思う様な反応や行動を期待してしまう可能性もあるわけで、勝手な押し付けなんですよね。

だから、不測の事態も起こりうるものなのだと思うしかないのだろうと。不安なあまり、想像を膨らませて相手の人を否定にしてしまわないように気を付けなければなと。それに多分、リラックスしていた方が、身体の反応が敏速っぽい。

と、ここまで書きましたが、私はサーフィンはもちろん、スケートボードもスキーもそういう系は全然できません。スピードが怖くて重心を崩し転ぶタイプです。だから、私にはきっと徒歩か自転車のスピードが合っている。

まあ、それもありでしょう。

これからも似顔絵修行は続きます。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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