見出し画像

佐藤優とスピノザ

なぜだか最近、通勤中の車内で佐藤優のYoutubeの講演を連続して聞いている。外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤氏、ウクライナやイスラエルにおける国際政治の問題からキリスト教の神学論争まで、その守備範囲は多岐にわたる。登場する媒体もさまざまで、それを片っ端から聞いている感じ。今日は、氏の母校でもある同志社大学で行われた講演をずっと流していた。

集中してカントを読んできて、次はヘーゲルに行こうと思っていたが、その前に一回スピノザを挟みたくなってきた。個人的に強い影響を受けた大江健三郎が晩年、スピノザを集中して読みたいと言っていた。『エチカ』をいきなり読むのはあまりにも無謀なので、まずは解説書から。以前いちど読んだ上野修の『スピノザの世界』を再読しようと思う。ちなみに著者の上野氏、出身が私と同じICU(国際基督教大学)ということで、親近感を感じる。

仕事をしていると、特にサービス業をしていると、身体の一番深いところに疲労が溜まるということがままある。存在の根本の部分が磨耗し、目が死んでいくのが自分でもよく分かる。そんな中「未来はいまのあなたのあり方によって変えらえる」などといった言説は、呪い以外の何ものでもない。スピノザは、あるいはウェーバーが分析した禁欲的プロテスタンティズムもそうなのかもしれないが「世の中の一切はあらかじめ全て決められている」と主張する。人間の自由を完全に否定したときに現れる開放感、あるいはすがすがしさ、いまはそちらに自分を置いてみたい気がするのだ。

結果はあらかじめすべて決まっている。そこにはあなたの努力が入り込む隙間など一ミリも存在しない。だからこそ、のびのびと、自由に、思い切りやっていいんだよ。何をやろうとも同じ結末を迎えることになっているのだからこそ、何ものにもとらわれずに自分が信じる本質をまっすぐに追求し続ける。自由な意思を否定したところに現れる自由、というものに賭けるという、この逆説にこそ恩寵があるのではないだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!