マルクス『資本論』覚書き part 2
マルクスの『資本論』を相変わらずちょびちょびと読んでいる。資本主義をハックするための完全マニュアル、といった感じで、読んでいて大変おもしろい。まだ最初の方なので、その後の展開はあくまでも想像だが、ここまでのまとめ。
資本主義の原点は物々交換にある。この場合、話はとても単純。自分にとっては価値がないけれど相手にとっては価値があるものと、相手にとっては価値がないけれど自分にとっては価値があるものを交換する、という形態。田舎から送られてきたみかんが食べきれないからお隣さんにあげたのよ。その代わりにおふるの子供服をもらっちゃった、という感じ。
やがて、ここに貨幣が介在するようになる。私にとっては価値がないものを売ってお金を稼ぎ、そのお金を使って私が欲しいものを手にする、という構図。例えばメルカリが分かりやすいだろう。いらなくなったゲームをメルカリに出品し、売って手にしたお金を払ってブックオフで新しいゲームを購入する、といった感じ。
とりあえずここまで読んだ。そこから先は想像の世界なのだが、マルクスの真骨頂はこの「私が売れる商品」のラインナップに、労働力を加えたところにある。つまり、サラリーマンである私は自分の身体を元手とした労働力を会社に売ってお金を稼ぐ。そして私は稼いだお金を使って欲しいと思う商品を手にする。労働力という商品を売ることで貨幣を手にし、手にした貨幣を使って新たな商品を手にする。とどまることのないサイクルがここに発生する。
問題は、私が売った労働力と、私が手にした貨幣の間に差が生じるところにある。どれだけ売り上げを上げようとも、サラリーマンである私が手にする給与は、労働者としての私をギリギリのところで生かす程度のものでしかない。その差分のことを「剰余価値」と呼び、この不公平感のことをマルクスは「搾取」と呼んで批判したのだと思うのだが、まだこのパートまで辿り着いていないのでひょっとしたら大きく間違っているかもしれない。
ただ、企業に属するサラリーマンとして働いている限り、この構造からは永遠に逃れられないという確信はある。結局、自分が手にする貨幣の量は上層部によって決められる。そして当然のことながら、上層部はできるだけコストを抑えようとする。どんなに会社に利益をもたらす有能な人物であったとしても、上層部はその人物が会社を辞めない程度の、最低限の給与を設定する。そこから逃れるためには、自分で自分の給与を決められる身分に就く、つまりは起業するしかない。
そもそも論で考えてみる。手元に貨幣があろうがなかろうが、最終的には使用価値が手に入れば良い。貨幣そのものはただの紙切れ、あるいは単なる数字でしかない。それが体を温めることもなければ、腹をいっぱいにすることもない。何よりも重要なのは、私や私の家族、あるいは私の仲間を幸せにするための内実を伴った、具体的なブツを手にすることである。そのブツは、場合によっては「商品」という名のもとに、貨幣との交換によって入手されることもあるだろう。ただ、例えば降り注ぐ太陽の光や道ばたに咲く一輪の花のように、貨幣との交換というプロセスを踏まなくてもそれを得ることはできるのかもしれない。「商品」というカテゴリーに属さない、しかし私たちに幸せをもたらすものが存在するのだ、という事実を忘れてはならない。この議論が発展すると、コモンという概念に接続されるのだろう。
マーケティングとは、実は貨幣との交換を経ずに獲得することができるかもしれないブツを、あたかも貨幣との交換なしには手にいれることができない商品として錯覚させる洗練された洗脳である。それに踊らされすぎては良くない。子供のまなざしがみずみずしいのは、世界を商品の陳列棚として見ることに慣れた大人の視線をリセットしてくれるからなのかもしれない。
労働と貨幣について。サラリーマンを長いこと続けていると、貨幣は給与という形以外では流入することがないという、これもやはり洗脳に侵される。確かに雑役が二十万円を超えると確定申告をしなければならないというしばりはあるものの、必ずしもそんなことはないだろう。いらないものを売り、資本に働いてもらい、あるいはiDeCoやふるさと納税などの制度をしたたかに利用すれば、額としては大きくないかもしれないが確実に小金は稼げる。
私の商品を売って貨幣を手にし、貨幣を使って私にとって有用な商品を手にする、という資本主義の基本的な構造。このことを理解しておけば、世界の見通しはずいぶんと良くなる。問題は、いかにして貨幣を手にするのか、そして、いかにして私にとって有用な使用価値を手にするのか、という点にある。貨幣は労働以外の方法によって入手することもできる。また、使用価値は、場合によっては貨幣を介さなくても手に入れられる。
『資本論』、全体の半分もまだ読んでいない。ここから、さらにじっくりと読み進めていきます。