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誰でも自由に意見を言える。

「誰でも自由に意見を言える。」えっ~、共産圏や独裁国ではあるまいし、今更、何を言うのか?と思われるかもしれないが、 多くの日本人が気付いていない,欠如してる項目を筆者の実体験から述べる。

ミラノの建築事務所での体験

事務所内、作業デスク
アーキテクトのデスク

伊に来て初めての勤務先が、スタジオ・マンジャロッティ。一応、著名な建築家の設計事務所。働き始めてから数日後の朝、アーキテクト(建築家の称号)が、いつものように事務所内で新プロジェクトの特徴について説明していた。すると、10人程いた所員の中から隣の席の一番若いジョヴァンナ(ミラノ工科大の新卒者)が、右手の人差し指を立てながら手を挙げてこう言った。

「Architect, io non sono d'accordo… アーキテクト、でも、私はそうは思わない」と、学校の授業での質問のようにさりげなく言った。すると、「ジョバンナ、何だ、言ってみろ」とアーキテクト。直ぐに、彼女はスラスラと自分の意見を述べ始めた。「フムフム、なるほど、、」と師匠である彼は新卒者の意見を最後まで聞いた。隣の席で、師匠&ボスに勝手な自分の意見を堂々と述べるなんて!と、驚いてる私に向かって、彼女は、”どうだ”とばかり、ドヤ顔&微笑みながらウインクしてきた。しかも,締切が 間近な多忙な時に ”言う方も言う方だが、聞く方も聞く方だ!”と、口にはしなかったが筆者は心の中で思った。

次の日,その問題の新プロジェクトの進行状態を見たが、彼女の意見は全く反映されていなかった。そして、その月内にプロジェクトは終了した。なるほど、決定権がある人が絶対的にエライわけでは無く、下っ端の誰でも自由に自己の意見を述べる事の出来る環境/システムが大切だ。その意見の採用 or 不採用は決定権のあるトップが決める、別の要素だ。

ボス不在時のジョークなスナップ

会議では皆、平等

大理石テーブル「エロス」

イタリア語には英語に無い敬語があるので、上司やお偉いさん&初対面者にはこの三人称の敬語を使う。そして、親しくなると二人称の友人言葉になる。しかし、会議や会合&ミーティングでは皆、平等だ。「空気を読む」は無い。まして、「忖度(そんたく)」(2017年日本流行語大賞)など論外。話し合いの目的は、皆の違う意見から、「より良い効果的な正しい解決策」を見いだす事。この「誰でも、自由に、遠慮せず、その場で言える」。これが日本には決定的に欠けている。

ストレスのはけ口がイジメやSNSの炎上

バランザーテの教会
ミラノ、チェルト-サ駅

日本人の良く口にする「他人に迷惑をかけない」と「自由な発言」は両立できる。で「自由な発言が出来ない」と「論理的な議論」が出来ず、「ストレス」が溜り、その負の要素を自分自身で解決出来ないので、自己内部のバランスを保つ為から他人にそのはけ口を向け「攻撃的」になる。その結果が「イジメ、パワハラ、SNSの炎上、袋叩き」などだ。「仲間はずれ、村八分」も同じ原因。

これは規則だから」もそれだ。規則の目的や内容も判断せず ”自分がガマンしてるのだから 他人も我慢しなければいけない” と,盲目的に規則に従わせる。「自分の頭で考え、自分で判断する」習慣&教育が決定的に欠けてる。 「口答えするな、生意気だ、出しゃばるな」など、この威厳的な権威主義が問題の根源。自粛を求めるのも、基準が非常に曖昧だ。違う意見の論理的な結論では無く、一般的に一方的に「決まった事」だからと押付ける。 ネガティブな意見もポジティブな意見も同等に扱う 間違った平等主義。 そこにはより良い結果を導き出す合理的な判断はナイ。 さらに押付けサイドの個人の意見も見えない。戦前の全体主義とそう大した違いは無い。(大政翼賛会&隣組)

一方,この国 は皆がその場で思ったコトをすぐ口にするので,会議は紛糾し,非常にまとまりにくい。しかし, ストレスは少なく& 暴走族はいない。 イジメも当然あるが, 表立って堂々とする。( 陰湿な暗いイジメは無い)
日本人は発言しなさすぎ(遠慮or自信が無い)で、何を考えているのか不明でまとまりにくい。

本当の働き方改革は「自由な発言」

照明器具Giogali

日本で流行りの「働き方改革」で 、長時間労働やブラック企業がマスコミを賑わせているが、最も欠けているのが上述の「自由な発言」。全ての問題の解決にはこの要素は必需品。疑問&不満を自由に気兼ねなく発言出来る事。その為には、全ての人が違う考え方を持ってると認める事。これを認めない人は、自分より優れた意見を恐れてる。何故なら自分に自信が無いからだ。自分のメンツや地位が保てないと考える。その有益な意見を取入れて新しいより良い方向に向かわせるのが、トップの力量&仕事。ひがみ&ジェラシーでの停滞&後退は許されない。物事は論理的&合理的に進行させなければならない。

誉めると伸びる

有名セレクトショップ、コルソコモ10内の照明器具
Giogaliのスケッチ

イタリア人は誉め上手
日本語でも”豚でも木に登る”と言うが,この国の人々はコミュニケーションの道具として,公私共に普通に自然に上手に使いこなしている。(マニュアル化したがる日本と違う)。実例では前述の恩師のマンジャロッティも 職人を褒めるのが得意だった。 工場の職人に向かって ”Sei Bravissimo! ブラーヴォ! 君の技術はすごい! 才能がある! だから,これもチョットやってみてくれ~” と。 すると,今までやったことのないコトにも挑戦して,工夫して,見事に新しいものを創り上げる。 その好例がヴェネチア ガラス製引っかけモジュールの照明器具Giogali(ホック)だ。 今でも, 上の写真のコルソ コモ10やモンテナポレオーネ通りのエルメスのショールーム等でも使われてる。(* この項目も別の回で取り上げたい)

言霊(ことだま)の否定: 意見と人格は別

LESBO,アルテミデ社

日本人はその人の意見を批判すると、その人の人格まで批判してると, 大きな勘違いをしやすい。特に上司、先生、年長者、親など。自由な発言で、意見の相違を乗り越えない限り、進展は無く、堂々巡りか停滞あるのみ。言葉には魂が乗り移ってるというのは、過去の一部の迷信だ。(これについては ”逆説の日本史” 井沢元彦著をご覧ください)。この弊害が今でも一般の日本人の思考に大きな制限をかけ、正しい論理的で合理的な共通の結論が出せない大きな要因の一部だ。

経歴や履歴のみを重視しない

60周年記念プロジェクト表紙
花器SAKURA

筆者はプロダクトデザインとして、幸運にもドイツ、ローゼンタール社から今年、同社スタジオライン60周年記念として花器SAKURAが再製品化された。同シリーズは世界中の著名デザイナーがひしめくハイエンド・ブランドであるが、同社のディレクター達は筆者の出身大学や経歴は知らない。必要なことは、その提案が如何に同社にとって利益(売上orイメージアップ)をもたらすか? この一点のみ。過去の情報ではなく、目の前の物事の価値をその場で判断する。その判断力に欠けてる人が、過去の情報にコダワル。企業の採用基準が大学名で決まるなど、論外。自己の知識力&判断力が欠けてる証拠だ。 その場で判断できない勇気&知識の欠如した人々が, 必要のナイ 事前の根回しや会議のための会議を作り出し, 非常に多くのムダな作業&時間を浪費する。これが日本の非効率的なシステムの一部。(*これも別の項目で具体例を紹介する)

有能な才能を邪魔をせず、有効に活用を

マンジャロッティ作品集
一つの大理石ブロックから創り出された高い塔

日本の若い世代のヤル気&才能を上司や組織のトップが邪魔せず、逆に褒めて有効に活用する事を期待する。簡単に下世話に言うと、XXの穴の小さいやつや、重箱の隅をつつく人は,静観して見守ってほしい。(褒める教育についてのレポートは後日また*)

正に現在の日本の政治家に欠けてる点である。有能なトップ経営者は多くいるが、その人達を有効に活用して、日本の未来のグランドデザインを創り上げ、世界をリード出来る国の設計図を築き上げるが, 政治家の仕事。 そしてそれをサポートしながら実行に移すのが行政の仕事。 一流大学卒で難関試験にパスした優秀な公務員が多いはずの役所で, ともすれば作業が無駄になったり, せっかくの文章を黒塗で消したり, 挙句の果ては自殺者まで出てしまうマイナス要因の根源がコレだと, 私は気付いてしまった…。(* テーマは政治にまで広がってきてしまいましたが,後日まとめて一つにして発表したいと思います)

*花器は下記のサイトから購入できます。恐れ入りますがピンク色は完売です。(全世界で60個のみの番号付きリミテッド製品)


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