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【カンボジアの学校へ行こう!42】 #教育とは木を植えること#ミパドの精神は生き続ける#シャンティ国際ボランティア、八木沢氏を偲んで#熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)

ミパドが行く!」は、支援団体シャンティ国際ボランティア会(SVA)の八木沢克昌氏が、22歳だった1980年からタイ、ラオス、カンボジア、ミャンマー、ネパールといったアジア地域の開発途上国支援を第一線で駆け抜けてきた豊富な経験を元に、独自の視点で現地のリアルについて定期寄稿されていた朝日新聞デジタルの人気シリーズ。

「ミパド」というのは、氏が提唱する活動の理念「ミッション、パッション、ドリーム」の頭文字をとったもので、氏の謙虚な人柄も相まって、八木沢さんの周りには常に国際協力を志す若者たちが溢れていました。

わたしが八木沢さんと面識を持ったのは、国際協力の仕事の付き合いではなく、丁度カンボジアで仕事や家族のことを独りで考えては煮詰まっていたタイミングで、友人に誘われての会食のテーブルでした。八木沢さんには私とちょうど同じ年代の子供がいらっしゃって、お話では、高校に通う年頃の娘さんが自宅の所在地について不平を漏らしてきたという話でした。というのも、八木沢さんの団体は、バンコク最大のスラムであるクロントイ地区の人々の生活環境の改善を中心に支援していましたが、八木沢さんはご家族と一緒にスラム街に居住され、スラムの人々に寄り添った生活を実践されていらっしゃいました。

光栄なことに式典では本人を偲ぶビデオに登場

それ以来、八木沢さんには、公私共にお世話になってきたのですが、一貫してお互いが強く共感できていたのは、教育や子育てに対して「木」のある環境の重要性でした。難民キャンプの支援活動を通じて「本の読み聞かせ」から途上国での読書推奨活動を展開されていましたが、図書館の運営に欠かせないものとして、①読むための本と②貸し出しのシステム、そして読書のできる場所、校内に植林を進め、本の読める木陰を作るということに強いこだわりを持っていらっしゃいました。急激な開発や学校建設によって、街中はおろか、多くの学校の校庭の木は伐採されていて、その結果、炎天下に晒され街中で木陰を見つけることが難しいことに、ブータン時代に見てきた環境保全の重要性の観点から、私自身もカンボジアの状況に異議を感じていました。

私の団体では「教育の質の向上」を目指す取り組みの中で、図書館設置と学校環境改善から学校保健の普及事業を進めてきましたが、その推進には、唯一と言っても良いほど私の考えを肯定してくれた八木沢氏からの励ましや教訓も多分に含まれています。

また、氏からの紹介で、毎年タイの環境モデル校に教員海外研修を実施してきました。当初は学ぶことしかなかった研修でしたが、訪問した学校がカンボジアでの環境モデル校に選出されたり、図書館や保健活動においては、カンボジアの学校からタイの学校に紹介できるプログラムも完成してきたことから、当初目標としてきた、タイ・カンボジア2国間+日本による国際カンファレンスの実施について協議するまでになりました。


突然の訃報が入ったのは、国際カンファレンスについての話し合いのため、タイ行きの切符を手配した矢先でした。駆けつけたバンコクの葬儀場には、八木沢さんを偲ぶ方々が各国から大勢集まっていました。

自らがスラムに住み、支援者に寄り添う。それを全ての国際協力に携わる人々に強要するつもりはありませんし、家族を連れて自分自身も同じ選択をできるとは思いません。しかし、「ほんとうに偉い人間」というのは、そのようなことを、強要されるでもなく、自らで静かに実践されている八木沢さんのような方であるということを、シミジミと思い及んでいます。

八木沢克昌氏の、高貴な魂に敬意を表すると共に、ご冥福を深くお祈り申し上げます。




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