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構造論と局所論

経営者とエンジニアの属性をもつ私が、精神分析を独学で学ぶ中で難解だった言葉や概念を書いていきます。


局所論における「無意識」に関しては前回触れた。「意識」「前意識」「無意識」は心のモデルだが、同じようなフロイトの心のモデルに構造論(「超自我」「自我」「イド」)というものがある。簡単に言ってしまうと、超自我はその人が獲得した道徳、イドは本能的な欲求、そして自我はその間で調整を行う。局所論は心の「領域」や「場所」に注目しているが、構造論は「機能」や「役割」に注目している。

私は学び始め当初、2つの理論があってわかりにくい!と思っていたが、馬場禮子「精神分析的人格理論の基礎」によると、「超自我」「自我」「イド」というのは「意識」「前意識」「無意識」の空間を飛び回って発現していると説明している。

局所論と構造論の関係
私のイメージ:超自我、自我、イドを変化させながら心の領域を飛び回る

例えば、赤信号を見ると意識していなくても超自我が発現してブレーキをかける。超自我は「道徳」に近いので意識下で発現するイメージだか、無意識や前意識でももちろん発現する。私は「超自我」「自我」「イド」は色や音のようなもので、その役割を自在に変化させているイメージで理解している。それが機能している場所が局所論(意識、前意識、無意識)と捉えている。
当初私は、無意識下での人の行動はイドが主役で本能にもとづいたイメージだった。でもそれは正しくない。無意識でも超自我は発現するし、それを他人はまた無意識に認知している。
人の発言や行動を分析するときは、この構造論と局所論という2つの視点は大変便利だ。


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