ベースボールクラブの思い出 その壱
もう解散して10年くらいたつだろう。福知山市の『東芝クラブ』軟式野球部のクラブチームだった。
そういえば、今週はTwitterで「みんなdeポジティブ人間化」を発案した、さくら先生の病院に、リアルに行ってお会いしてきたな。
ちなみに待合室には、堀江貴文さんの本が何冊か置いてあった。
僕の主治医の先生の待合室にはグラップラー刃牙がおいてあるが・・・。
主題とあまり関係ない、まえがきはこれくらいにしておいて記事を書くとしよう。
元々は企業チームであった
東芝と言えば、サザエさんのスポンサーだったと思う。
最近、テレビ観ないんでなんともいえませんが・・・・。
その東芝である。
監督は東芝の社員の方だったと思う。
当時、京都府で軟式野球の理事を務めていた方である。
強くなるために福知山市でクラブ化されたチームであった。
ぼくは兵庫県民であるが、友達からお誘いを受けて入部した。
名前はあげないが福知山成美高校が、初めて甲子園に出場した時の外野のレギュラーの子もいた。
脚がはやくて守備がうまかった。
また、クリナップに務めていて、学生時代、京都府の大学でキャッチャー兼トレーナーをしていた人もいた。
強肩であった。
「ランナーを気にせず投げてこい。俺が刺すから。」彼の名台詞だった。
まあ、いまで言う福知山成美高校硬式野球部が母体のチームであったのだろう。
最高成績
全京都野球大会で準優勝が最高成績である。
今もこの大会はあるのだろうか?
少し京都府軟式野球連盟のホームページで調べてみたが、微妙である。
佐川印刷。
アイアイベースボールクラブ。
ニチダイ。
SECカーボン。
宝酒造。
過去に対戦したことがあるが、今でも企業チームとして活動されているみたいだ。懐かしい。
☆
準優勝した時の2回戦の相手はJT関西であった。桃の天然水がバカ売れした時代である。
先発投手は僕だった。
全国大会に行ったチームである。
結果、1安打で完封。0-0の引き分け。抽選勝。
決勝まで行くのに6試合こなしてきた。
そのうち、4試合は引き分けによる抽選勝である。
☆
どうでもいいのだが、お互いの最終メンバーが9人整列して相互にくじを引き勝敗を決める。
結構どきどきする瞬間である。
スポーツの結果をくじ引きで決める。
賛否両論もあると思うが案外好きだった。
微妙に天運がためされるので・・・・。
そうして決勝戦までたどり着いた。
☆
佐川印刷との初めての対戦である。
軟式野球の世界では有名である。サッカー部とかもあったよな。
先発投手は僕。
一番対戦したいチームであった。
チャレンジャーとして。
初回から結構、ヤジられた。「レベルの違い。レベルの違い」が名台詞であった記憶がある。
当時の軟式のボールはあまり飛距離がでない。
ミズノのビヨンドマックスもなかった時代である。
得点が入りにくい競技であった。
なので、相手にプレッシャーをかけるメンタル的な攻撃は必然である。
初回、先頭打者をフォアボールで出してしまった。・・・・。
相手チームのヤジ的応援がエキサイトする。
変なプレッシャーがかかったが、何とか1失点で初回を切り抜けた。
そして、5イニングスめから相手チームのクローザーが出てきた。
先頭打者は僕。
初球を振り遅れ気味だったのだが、三塁手のグローブをかすめ、レフト前にヒット。
送りバントで2塁まですすんだ。
出塁したのでリードをとる。
相手の遊撃手が「ナイス、バッティング」とお褒め言葉を話かけてくる。
そのタイミングで2塁手が投手からの牽制球を受ける。
危うくアウトになるところだった。
せこいが当時のテクニックである。
そうして0-2で負けたまま最終回に突入する。
ツーアウトランナー無しで僕に打席が回ってきた。
初球。ボールの下をかすめるファールチップ。
ストレートにはタイミングがあってきている。
2球目。ファール。
3球目。落ちる球で三振。初めてこの投手が投げた変化球である。
そうして試合が終わり両チームの健闘を称えあい閉会式を迎えた。
最後に
あまり過去には、こだわりたたくないのだが良い思い出は振り返ってみたい気分である。
そうして少しづつ自信を取り戻していきたい。
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