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IT企業への転職の道 ~4

みなさん、こんにちは。
こんなに長くするつもりはなかったのですが、
今回で「IT系企業への転職への道」が4回目に入ってしまいました。。
文章を簡潔にまとめるために箇条書きで理路整然と書こうとも思ったのですが、
どう苦労したのか、その時どうしたのか、どうしてそれをしたのかなどを
わかる感じにしたかったので、
あえてエッセイっぽく書いておりますので、ご理解くださいませ。。。汗
でも、長くなってしまっててスミマセン!

さて前回は、福岡の企業でSEとしてある程度ひとり立ちができ、
インフラスキルのほかにPMスキルも得えた私は
福岡の会社で年間50案件程度をPMとして回しておりました。
そしてもっと大きなことがしたく大阪に支社がある某有名SIerへ転職をする
ことにいたしまいた。

さらなる成長を求め大阪へ
その企業はIT業界にいたら誰もが知っている
インフラをメインとしているSE集団がいるSIerでした。
正直、福岡の中堅企業でSE経験をしていたぐらいのキャリアでは
憧れに似た思いで転職活動をかけていたわけですが、
まさかの内定を頂戴でき、ワクワク30%・不安70%の状態で入社をいたしました。

そしてサーバ系SEとして2年間お世話になることになりました。
参考までの案件規模ですが、SE工数として12人月~36人月の案件ばかりを対応しており、メインは某キャリア様のシステム構築で、ワーカー/PL/PMのいずれかの役割で案件をこなしておりました。そしてここであらたに取得したスキルが監視システムスキルです。

もう、本当に地味だしシンドイし体力的に辛かったですが、
ここでの経験が、今でも自信をもって話ができるまで鍛えてもらったと思っております。とにかく、逃げずに頑張れば血となり肉となることを体現した案件の1つでした。

本当に初めての物や初めてのスキルばかりを経験することができ、
ある意味エンジニア冥利に尽きる仕事生活を送っていたのですが、
残業が尋常でない生活だったので、人間生活を送れる会社に行きたいと思い、再び大阪でインフラSEとして転職をすることにしました。

人間生活を送れたのか??
大企業のSEとして監視スキルを手にし、PM力に磨きをかけた私は
次の会社で少しのんびり仕事をしようと思っていたのですが、、、、
だがしかし、規模は10人月程度のものばかりなのにプロジェクトメンバーがつかなかったため、すべて1人でこなすことになってしまいました。
理由は、このレベルの案件をこなせる人が居ないから、という
よく聞くセリフ。。
そして同時に同レベルの案件を3つ並行でこなさせられ、
1日7.5時間という就業時間に対し、毎日18時間前後の業務を土日関係なく
こなすことになってしまったわけです。。
もう、この時点で前職で夢見た人間生活は儚く散り、
馬車馬のごとく働いた結果、わずか8か月で年間36の延長最大時間を超過(実質は倍働く)するという限りなく黒に近い勤務をさせられたため、
10か月目に退職をするに至りました。
その際、本当に神様は居るのではないのかという夢のような転職の話を辞める直前にもらうことができ、この地獄から羽ばたいていくことになります。

そして、舞台は外資系ITメーカーへと移り変わることになります。

本日も、またもや話を終わらすことができなかったので、
次へ持ち越させていただくことにいたします (´;ω;`)
最後にここまでの収入遍歴をまとめさせていただきますのでご参照くださいませ。

収入状況
この時点までの私の給与グラフは ↓ の感じです。
※今回も数字の単位はご想像にお任せしますw
・大学職員時代:5(21歳~23歳。残業ほぼ無し、月ー金のみの勤務)
・派遣社員時代:3(23歳~24歳。時給1100円で、シフト勤務。週6日で勤務。)
・ITオペレーター時代:4(24歳~26歳。週5で勤務。ただし残業はほぼゼロ)
・第1回 SE時代(福岡):4.2 → 5.6(26歳~32歳。週5で勤務。平均残業時間は月40時間程度)
・第2回 SE時代(大阪):5.5 → 6.3(32歳~34歳。週6で勤務。平均残業時間は月110時間程度)
・第3回 SE時代(大阪地獄編):6.7(34歳。毎日勤務。平均残業時間は月140時間程度)
収入だけなら右肩上がりですが、私生活を犠牲にしすぎるのと、
最後の会社で記載した年収は36協定を意識した最大値なので、
役職が無いエンジニアで稼ぎ出せる限界額
と今でも思っています。

今回の最後までご拝読いただきありがとうございました。
また次の投稿も、ぜひ、よろしくお願いします (^^)

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