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【紀行文】黄金の鳥居が雲上の社にそびえていた! 火伏の神 秋葉神社

 天竜川沿いの古代の遺跡を巡り、塩の道・秋葉街道を北上する旅。前回までの記録はこちら。

秋葉信仰と秋葉街道 火伏の山は、一度燃えた

 天竜地区には、火伏の神として全国にその名を知られる秋葉神社がある。
 東京の秋葉原もこの秋葉神社にちなむ名前だ。山間部にあるアクセス困難な神社であるが、今も参詣者が絶えない。

 中世には、武運長久の御利益で知られ、数々の武将が参詣し、それ以前は修験道の聖地でもあった。
 その道は秋葉街道と呼ばれ、更に古くは太平洋側の遠州と信州地区を結ぶ交易ルートであった。「塩の道」と呼ばれた。

 「秋葉山から火事」という諺があるようだが、これは指導的立場にあるものが、その過ちを犯すものである。
 で、その秋葉山が燃えるという事件があった。それは昭和18年のことで、山火事は秋葉山のほぼ全山を燃やし尽くし、随身門など一部を除き上社は灰燼に帰した。
 その後下社を中心に祭祀が行われたが、天竜川流域の人々が神社の再建費用を出し合い、ついに昭和61年に上社が復建された。

 天竜地区は、天竜川沿いの豊富で良質な森林資源を背景に戦後国内の材木市場を席巻した。地域を挙げて植林に勤しみ、今でいう持続可能な開発を目指していた。この天竜地区の林業は、一時期大変羽振りがよかったと聞く。
 しかし外国産の安い資材に市場を奪われ、今は手の入らぬ人工林が多くなっているようだ。 

山中とは思えないほど巨大な鳥居 鉄板のようなもので覆われている

美しい山中の建造物

 この秋葉神社を訪れるのは、私は二回目。前回も感じたが、参道や石灯籠は白く新しく、全体的にコンクリートや石造りの構造物が多い。
 山中の神社としては違和感を覚えるほどであるが、これは二度と火事で社殿を焼失させまいという、氏子の思いの表れなのだろう。

 駐車場からそこそこの距離を歩くと、見えてきたのが西ノ閽の神門(にしのかどもりのしんもん)と呼ばれる木造の門だが、まずは豪壮な白虎と玄武が「にらみ」を利かせて迎えてくれる。

美しい参道を歩き進めると、やがて見えてくる西ノ閽の神門(にしのかどもりのしんもん)
右 白虎 左 玄武(亀と蛇)
門をくぐると裏には、青龍と朱雀

 神門をくぐり反対側を見ると、青龍と朱雀がやはり強いにらみを利かせている。精巧で力強い彫刻だ。
 もとは修験道の聖地であり、秋葉寺として長く続いてきた場所であるから、神仏習合的な感じが再びよみがえっているのだろうか。

雲上の神社にそびえる黄金の鳥居

 そこから参道を進み、右手に折れ石段を登った先でぱぁと景色が開け、遠州の町が一望できる。ここで一息つく。

 近くの手水舎で手を清め、反対側を見上げると有名な黄金の鳥居が見える。黄金の鳥居は、聖なる印象というよりも、現世利益的なイメージが強く、神秘的な白木の鳥居や社殿が好みの私には、いささか引いてしまうのだが、このあたりの気質はいわゆる名古屋方面の影響なのだろうか。

そびえる黄金の鳥居 
全体的に明度の高い景色で、緑深い山中を超え、ここを訪れると別天地のような感じがする。

 杣人は慎ましく自然と一体となって生きるようなイメージがあり、黄金の鳥居や白亜の参道はその対極にあるように思うが、宗教的な場所や非日常にあっては、真逆のエネルギーが働くのかもしれない。

 もう一つ思ったのは、天竜の人々が一時的に不自然なまでの富を得、その不平等を解消するために財産の吐きだしたのかもしれぬということ。
 弥生時代には村落共同体内の争いを避けるために、富を得たものが、定期的に破滅的ともいえる方法で、それを消費した形跡があるということだ。
 それ故、天竜の人々がこうした豪華な社殿を立てたのも、フラットな社会をつくるために、一時的に突出して得た富や財を神社の再興という形で消費したのかもしれないと考えた。

 黄金の鳥居をくぐり、後ろを振り返ると一面の雲海であった。この日天気はあまり良くなかったが、晴れていれば一望に遠州の街が見えたであろう。  

美しい雲海が眼下に広がる。ここは雲上の別世界のようだ。

 この雲海の上に浮かぶ黄金の鳥居は、格好のパワースポットとしてにぎわっており、この景色を求めて訪れる人も多いようだ。
 参拝終えた後に、ゆっくりと境内を見回してみると、天狗の皿割りと言うところがあった。これは叶えたい願い事をさらに書き、中腹のある地点を目掛けて投げ、そこを通過すると願いが叶うと言うものである。

 前日に龍潭寺の裏にある井伊谷宮でやった難転厄割石と同じようなものだ。同じような厄払いは、全国他の地域にもあるのだろうか。これはこれで調べてみると面白いかもしれない。

天竜二俣諏訪神社の奇祭

 秋葉山を訪れる前夜、私たちは静岡県立森林公園 森の家というところに宿泊した。本当は旅館やホテルで寛ぐ予定だったのだが、あいにく予約が取れず、林間学校の宿泊所のようなところになった。
 なぜ予約が取れなかったのか、その謎が解明されたのは、この宿泊施設がある天竜二俣地区を通りかかったときのことだ。

私たちが泊まった森の家 早朝の清々しさが心地よく、散歩が楽しかった。

 この日、天竜二俣地区の二俣諏訪神社例大祭の日であった。
 十三基の山車が町内を勇壮に走り回る奇祭として知られ、多くの見物人が訪れる。 
 普段人通りも少ないところだが、この日は道を埋め尽くすほどの人が街中にあふれ、思い思いに祭りを楽しんでいた。この祭りのために、地元に戻ってきている天竜人もいるのかもしれない。

 山車からは餅が投げられ、歓声を上げてそれを拾う人がいた。餅投げが終わると、山車が引き出され、掛け声とともに大通りを全速力で走り出す。
 少し行った先で停まると、そこから一度戻り、掛け声でまた走り出す。その繰り返しがこの祭りの山車の曳き廻しだ。

豪快に餅や菓子を投げる

 山車は重量があるため、危うさを感じた。その無鉄砲さ、そして死の危険性も孕んだ危うさが祭りだと言う感じがあった。

町中を曳き回される山車 重量感のある山車が全速力で走り出す

 こうした豪勢な山車と祭の活気が維持されているということは、凄いことだと思う。人口が減少する中、少しずつの変化はあるようだが、祭は貴重な文化ともいえる。
 形骸化したものを無理をして残すようなものではないが、祭の存在意義が現在の生活においてあるのであれば、できるだけ残ってほしいと思う。


 秋葉神社を参拝したのちは、更に天竜川を北上し信州方面へ。水窪の町に立ち寄り、史跡高根城を歩いた記録はこちら。

おまけ:天竜の空の散歩道

静岡県立森林公園 森の家から徒歩数分の所にある吊り橋
 景色もよいし、ここまでの森林浴も気持ちよい
夏の早朝、鳥たちのさえずりを聞きながら散歩がてら、この橋を渡った。心地よい風が吹き抜けていく。高さは結構あるので、それなりに怖さも感じるが、それあってのつり橋だ。


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