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【紀行文】国のまほろば、万葉集の心が生きる飛鳥路を旅した 2

飛鳥寺と飛鳥坐神社

飛鳥寺は、日本最古と伝わる飛鳥大仏がある。教科書でも見るような有名な大仏だが、国宝ではないようだ。(重要文化財)
というのも、いくども火災の憂き目にあい、オリジナルがほとんど残っていないとされるかららしい。しかし、最近の成果では顔の部分はオリジナルではないかという研究も出ているらしいので、そうなると今後の再国宝化が待たれるところではある。

日本最古の仏像といわれる飛鳥大仏がある 比較的小さな寺

個人的には、飛鳥寺を田園地帯にひっそりとたたずむ蘇我入鹿の首塚が印象深かった。有名な首が飛んだ先がここかあ、などと想像しつつ、実際にこの場に立ち、解説碑を読んでみた。
甘樫の丘も飛鳥寺も同じ場所で見ることができ、ありありと当時の戦況が見えてくる。古代の息吹が伝わる飛鳥の地ならではの不思議な感覚が体験できる。
写真には電線が入っているが、そのほか視界を邪魔するものはほとんどない。現代にあって、大抵の場所では建物が乱立し、それこそ50年前の景色すら分からないが、ここでは昔の雰囲気が維持されている。(少なくとも旅の者にはそう思わせるだけの雰囲気がある)

ここが大化の改新(乙巳の変)の舞台地。歴史が大きく動いた舞台だ。ここからの西の丘に蘇我入鹿の陣・館があり、中大兄皇子と藤原鎌足はここ飛鳥寺に陣を構えたという。

飛鳥寺から直ぐに飛鳥坐神社(あすかにいます)というのがある。神社の名前も面白いが、ここも折口信夫に関係する神社だ。
ここに至る道筋に「元伊勢」の看板があり、はて?と思っていたが、どうやらここは元伊勢の比定地の一つとされているらしい。

あすかにいます神社

引用になるが、元伊勢とは今の三重県の伊勢神宮に落ち着く前に、ふさわしい場所を求めて各地を神々が彷徨ったという、その旅先として伝承がある場所だ。現在は60か所ほどあるらしい。

この飛鳥坐神社も、大変に由緒が古く天照大神が一時祀られていたとしても不思議ではない。
奇祭のおんだ祭が今は有名で、また境内には陽物(写真のとおり)信仰があり、子宝の関係で信仰があるようだ。

太い陽物が並ぶ

また、私がここのところテーマにしている折口信夫との縁もあり、折口信夫の祖父がここの神社の宮司の養子であったとのこと。折口信夫も親しく参詣していたとのことで、感慨深いものがあった。

飛鳥美人がいる高松塚古墳へ

高松塚古墳の発見は、当時日本中が興奮したらしい。
小学校5~6年生のころに、一度祖父といとこと奈良に来ている。その時に見たような記憶がうっすらと残っている。
当時は、たぶん本物を直に見たような気がする。
なにぶん30年以上前に見た上、当時は隣の桜井市の箸墓古墳のほうに興味があったので、あまり記憶に残っていない。

高松塚古墳全体 石室の入り口は下方で見られる

ただ、当時に比べれば格段に周りは整備された。
国営飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区という形で整備された場所に高松塚壁画館が建設されている。古墳のすぐ横にあるこの建物の中で、発見当時の高松塚古墳の壁画を復元模写したものと修復復元したものとを比較しながら見学ができる。
日本考古学史上稀にみる大発見、貴重な遺跡をどう保存するか、それを真剣に考え検討した結果が、ここに展示されている。
考古学遺跡は、発見されておしまいではなく、そこからどう保存活用していくかが大きな課題だ。

キトラ古墳へ

キトラ古墳内部の解説板

高松塚古墳が発見された当時、「うちの近くにも似たようなのがあるよ」という報告があり、実際掘ってみたら似たようなものが出てきた、という飛鳥でしかありえない事態があった。
それがキトラ古墳である。カタカナ表記だが、「亀虎」や「甲虎(きのえとら)」が有力なようである。しかし来歴がわからないためカタカナ表記であるとか。
私が前回来た時には、なかったように思う。

高松塚古墳にも四神(朱雀、白虎、青龍、玄武)があり、キトラにも同様に四神が描かれているが、それぞれ違いがあるようだ。
それについては、リンク先をご覧いただきたい。

キトラ古墳を見に行くと、その前にそびえたつ「キトラ古墳壁画体験館四神の館」がまず出迎える。(個人的には、施設規模が仰々しいと思うが・・・」
高松塚古墳の博物館のような質実剛健(イメージ)な展示が古墳施設らしいが、こちらは、体験館を謳うだけあってグラフィックイメージをたくさん使った展示になっている。最近博物館系をよく巡っているので、なんとなく特定の業者のイメージが付きまとうのだが、どれも見やすくてわかりやすい。

高松塚もキトラもその壁画に描かれているのは、当時の朝鮮半島の文化を反映したものであることは間違いないだろう。
当然、大陸で発見された壁画との比較検証パネルもあり、瓜二つの構図で描かれている。ただし、日本らしいというか若干のアレンジがそれぞれあるようで、日本史の外来文化の受容の縮図のようなものが見える。

流石にこの日、ひねもす古墳や古寺巡りだったので、最後に訪れたキトラ古墳では疲れてしまった。連れは、この施設を見る元気もわかず車で休んでいたほどだ。
私は元気はあったが、頭が少々疲れてしまい、この日はまだ外は明るく、一つか二つの施設は回れそうだったが、ホテルに行くことにした。

明日は丸々1日飛鳥とその周辺を回ることができるため、その体力を温存するとともに楽しみをとっておこうと思った。
本当に飛鳥は素晴らしい場所であり、わくわくするとともに、どこか心が落ち着くそんな場所である。

プリンのような形のキトラ古墳


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タキカワスエヒト
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