多くの埴輪に囲まれて古代にタイムスリップ 群馬県立歴史博物館を訪ねて【紀行文】
上州(群馬県)には、信州から碓井峠を越え、黒曜石や土器が赤城山麓周辺に多く伝わり、またいくつかの神社が諏訪大社と関係しているらしいと聞いていました。
今回群馬県を訪れたきっかけは、8月に浜松市博物館でたまたま群馬県立歴史博物館の特別館長の右島氏にお会いし、お話を伺うことができたことから。
その後から群馬に行ってみようかと言う気持ちが、急にむくむくと湧いてきました。
群馬県立歴史博物館へ
群馬県立歴史博物館は「群馬の森」の中にあります。朝9時半ごろにもかかわらず、駐車場はほぼ満車で、多くの家族連れのようでした。公園の中には、歴史博物館の他、群馬県立近代美術館などの文教施設がありました。
群馬県立歴史博物館の近くには、群馬の名を表す馬の彫刻があり、そして正面にはインパクトがすさまじい「弥生人は二度死ぬ」の次回企画展のポスターが貼ってありました。
センスがいいですね~。007大好きです。
こういう遊び心があるところって、絶対展示も面白そう! 期待が高まります。
群馬県立歴史博物館の入館料は300円と格安でした。広い吹き抜けに、すっとのびる明るい茶色の天井、まるで柔らかい木々に包み込まれているような安心感のある空間でした。
さっそく常設展示室へ入っていきます。
いきなり空間が暗くなり、壁に光が現れました。やがてプロローグがはじまり、この上州を代表する綿貫観音山古墳の全体像が浮かび上がってきます。そして、出土した埴輪も。
光に包み込まれながら、古代の世界にタイムスリップさせてくれるような演出でした。うっとりとした気分で、展示コーナーに入っていけます。
気持ちよかったなあ。
埴輪の国 上州
群馬は埴輪の国。古墳が一万基以上、東日本随一といわれるほどあり、これは近畿の大和王権とのつながりが深かったことを意味しているといいます。著名な埴輪も多く出土しており、武人型の埴輪が多いようです。
弥生時代までは、日本には馬がいなかったといわれていますが、古墳時代になり大陸から軍馬がやってきて、上州はその放牧地となりました。
武人と馬、日本のサムライの祖先の地と言えるかも。
楽器を奏でる三人の女性(三人童女)
3人の女性が並んだ埴輪(三人童女)は、奇妙な仕草をしています。解説を見ると、これは弦を指に加えそして口で弾くような音楽を演奏しているようです。
この常設展示室を出た後、館内学芸員さんによる展示解説をきいたのですが、その時に教えていただいた、この女性が奏でる演奏の復元がこちら。
指先に弦となる糸を巻き付け、歯や唇ではじいて音を奏でていたようです。再現した音も聞かせてくれました。
武人の埴輪の顔は、いささか日本人離れしているように見えます。
一説にはユダヤ人とも言われているようですが、それはともかく数多くの独特の埴輪を見ると、縄文・弥生時代に比べて格段に細部のリアリティーが増しています。
これは確かに外来の文化、中国の文化が突如として流入してきたことを示しているのだと思います。縄文時代の土偶からの、なめらかな文化的連続性を感じません。
常設展の特別コーナーは、埴輪尽くしでしたが、その次からは旧石器時代、そして縄文・弥生と歴史区分別に展示が続いていきます。
群馬県といえば岩宿の発見!
群馬県の旧石器時代は、岩宿遺跡に代表されると思います。この後、私は岩宿遺跡に向かいますが、そこでは同時に相澤氏個人の業績を高く検証しており、日本古代史を一変させた岩宿遺跡を苦労の末発見された相澤忠洋氏への尊敬、顕彰の機運がとても強くこの群馬県にはあると思いました。
戦前まで、日本には関東ローム層よりも下、旧石器時代には人が住んでいなかったと思われてきました。火山灰が降り積もる地獄のような土地に誰が住めるというのか。
ところが、この「思い込み」を一人の在野の人が覆します。ふと見つけた石器のかけらをきっかけに、信念をもって発掘にあたり、ついにほぼ独力で岩宿遺跡の場所で、黒曜石で作られた石器を発見したのです!
世界で最も早い時期に、日本で旧石器(しかも世界的に見ても珍しい部分磨製石器の技術を持つ)時代が始まっていたことを証明しました。
世界中を見渡しても、ここまで発達した技術を持っている地域はなかった、と聞くと、なにか日本に生まれ育ったものとして、高揚するものがありますね。
群馬の縄文時代 独自の文化が息づいている
続いて、縄文時代を見ていきます。
群馬県の縄文の土器はあまり奇抜な模様や形のものがないように思いました。信州産の黒耀石が碓氷峠を超え、大量に流入した地域ですから、当然信州の土器との交流があるはずです。
また新潟県糸魚川産の翡翠の大珠も発見されているようです。
赤城山の南麓を中心に縄文の遺跡が長い時代にわたって続いていたようです。どちらかというと装飾性は控えめの質実な土器なのかな、という印象を受けました。
群馬県立博物館の次回の企画展のタイトルは「弥生人は二度死ぬ」でした。いいですね~、このセンス。
群馬県では、弥生時代に一度埋葬した遺体を掘り起こし、そのあと骨をツボに入れて再度埋葬する習慣があったようです。
こちらも、解説パネル付きで分かりやすかったですね。
見ごたえのある展示と落ち着いた公園でくつろげます
常設展メインの埴輪や古墳、そして旧石器~縄文時代辺りをじっくりみていると少々疲れてしまいました。ですので、中世、近世以降は少し流してみてきました。
中世には、新田義貞が出て、鎌倉幕府を滅ぼし、その後は後醍醐天皇率いる南朝の総大将として、日本の歴史を華々しく彩ります。
また近世に入れば、富岡製紙工場が近代工業化の立役者となります。こうした数々の重要な歴史が紡がれた群馬を知ることが出来る、素晴らしい博物館でした。
常設展示を一通り見終わったころ、11時から学芸員による収蔵物解説がありますとのアナウンスが流れました。展示物を主体的に見ることにちょっと疲れていたので、ちょうどよいご案内。
視聴覚室で10分ほど館内資料の見どころや常設展示室にあった三人童女が奏でていたであろう音楽の再現フィルムなどを視聴しました。
十分堪能し、お土産もそこそこ購入し満足して外に出ると、気持ちよい青空が広がっていました。写真は、隣接する近代美術館です。このあと岩宿に出かける予定だったので、こちらには立ち寄りませんでしたが、素敵な建物ですね。
こんな公園でくつろげたらとっても気持ちが良いでしょうね。
群馬県の歴史の概観をしたのちは、いよいよ本日群馬探訪のメイン岩宿遺跡へ向かいます。