赤城山の湧水に育まれた美しい木の社 三夜沢の赤城神社【紀行文】
導かれるように赤城山のふもとの神社へ
岩宿遺跡を堪能し、時計を見ると2時を少し過ぎたところでした。前回の記事はこちら。
せっかく群馬県まで来たのだから、縄文時代の遺跡や有名神社に参拝したいなと思い、googleマップで検索すると、直ぐ近くに赤城山がありました。赤城山周辺には、縄文時代の遺跡があるのは知っており、それであれば古くからの由緒のある神社があるだろうと、更に見てみると「赤城神社」が目に入りました。
この赤城神社はいくつかあるようで、調べると三夜沢地区にある赤城神社とそして赤城山の山頂にある大きな沼のほとりにある大洞赤城神社が代表的なものであるとのことでした。
岩宿遺跡から最寄りの赤城神社は、三夜沢地区の方。写真を見ると鬱蒼とした森の中に佇む雰囲気のある神社に見えたので、感覚でこちらがよさそうと思い向かいました。
三夜沢地区に近づくと、だんだんと森の気配が強くなってきました。何らかの雰囲気を感じさせるので、こちらで正解だなと思いました。
まず木製の大きな鳥居が視界に入り、その飾らなさがより高い神威を感じさせるものでした。
私が鳥居に近づいたとき、参拝を終えた男性が鳥居をくぐり、そこですっと神社のほうを振り返り、一礼をして去っていきました。
美しい姿でした。
あまり大きな神社ではなく、どちらかと言うと暗い雰囲気のところですが、参拝者は5~6人はおりました。
参道を歩いていくと右手に手水舎がありました。
池があり、鯉が悠々と泳いでいました。
池と一体となったこの手水舎の景色がとても美しく感じられました。
後で知りましたが、やはりここは縄文時代の遺跡があったところでした。
赤城山の豊富な湧水がこの神社を作った
おそらくはこの赤城山麓に自然と湧いた水がこの池を作り、このあたりの森の美しさと相まって、自然と集落が形成され、そして神社となっていったのでしょう。
この三夜沢の赤城神社は、全国に数多くある赤城神社の本宮、つまり大本となった神社である可能性が高いといわれているそうです。
それだけの雰囲気を持った場所であることは間違いないです。
手を清め、参道を歩いていく先に、狛犬が鎮座しています。その傍の石灯篭のところには「赤」と言う文字が掘りぬいてありました。
参道を社殿に向かって歩いていくと、なにやら左手方向が気になりました。何か清らかな聖なる気配を感じる・・・。
感性が高まっていたのかもしれません。そちらに行くと、音を立てて石でできた器の中に、水が流れ込んでいました。この地区では有名な赤城山の湧水のようです。
その水を飲む事は推奨されていなかったようなのですが、あまりにも美しい水でしたので、その場で一口頂きました。
下の記事を読むと、地元の方は日常的に頂いているようですね。
この御神水の更に右手奥から、さらさらと水音が聞こえるので行ってみると、小さな川がありました。
このあたり一帯が赤城山の湧水ポイントとなっているようです。
必見! 幻の神代文字
小さな階段を上がり、ふと右手を見るととても気になる木札を見つけました。神代文字という言葉が目に飛び込んできたのです。
神代文字は、漢字が日本に入ってくる以前に、日本在来の文字としてあったといわれるもので、多くは復古神道の隆盛期に作られたものだと思います。本当に、昔からあったという説もあり、そこはロマンの世界ですが、既に神代文字が世に知られるようになって200年近い年月が立っており、今でも思想史の面からは、重要なものとなっているようです。
三夜沢赤城神社は、文化財が豊富
赤城神社の本殿に参拝した後、ぐるりと社殿を回りました。
奥は禁足地となっているようでした。面白いことに、この赤城神社から右手奥に50分ほど登ったところに、櫃石があり、これが赤城神社のご神体であるというお話もあるそうです。
現在、県の指定文化財となっているこの櫃石、ぜひ見てみたかったのですが、50分という時間が難しく今回はあきらめることにしました。
でも、きっと何か神様の力を感じられる場所だと思います。
この櫃石は、6世紀ごろの祭祀遺跡とされているようです。
一般的に磐座は弥生以降の信仰の形であり、縄文には磐座信仰がなかったと言われていますが、帰宅後調べると、この櫃石のそばから縄文関係の遺跡が出ているようです。
祭祀の形をとらずとも、縄文時代以前から自然と人々が神を感じて、拝む場所、対象だったと思われます。
この三夜沢の赤城神社に入ると、直ぐに神々の存在を感じることができる不思議な場所でした。赤城山の清らかな水や木々が、それを具体化して見せてくれているようです。
偶然立ち寄った神社でしたが、とても素晴らしい時間と体験をいただくことができました。
おまけ1:剣聖 上泉伊勢守信綱 新陰流の祖の木像
この赤城神社の社殿のさらに左手奥に、剣聖 上泉伊勢守信綱の木像が祀られていました。著名な剣術流派、新陰流の祖です。
新陰流は、隻眼の剣士、柳生十兵衛が身に着けていた剣術といえばわかりやすいでしょうか。柳生家に引き継がれ、尾張徳川家の庇護を受けた日本を代表する剣術流派です。
私は居合も修しているので、特別に思い入れが強く、この木像に出会えたことに感激でした。
おまけ2:赤城山山頂の赤城神社へ
この麓の赤城神社がとても素晴らしかったので、ぜひもう一つの有名な赤城神社、赤城山の山頂にある赤城神社にも行ってみたくなりました。
当日中に静岡に帰ることを考えると、かなり厳しかったのですが、行ってみたい思いが強く、車で赤城山を駆け上がりました。
しかし、赤城山の大沼の畔にあった朱塗りの赤城神社は、観光地化していることや、朱の鮮やかさが過ぎたこともあって、あまり心を動かされませんでした。
観光地としては、とてもいいところだと思うのですがね。
今回で、群馬県への旅の紀行文は終わりです。次回は、信州入傘山への登山記を更新予定です。