【紀行文】井の国があった遠州井伊谷 おんな城主直虎で盛り上がる龍潭寺
天竜川沿いの古代の遺跡を巡り、塩の道・秋葉街道を北上する旅。静岡県西部は天竜川沿いに、史跡・遺跡が点在しており、特に旧水窪町のあたりには縄文の遺跡が集中している。
出発地となったのは、遠州の井伊谷。ここは、元は井の国といわれた水に纏わる伝承が多い地域で、まずは、神宮寺川に囲まれた丘の上にある渭伊神社、この敷地内にある天白磐座遺跡を訪れた。
前回の紀行文はこちら。
井伊家に縁のある龍潭寺(りょうたんじ)へ
天白磐座遺跡は、渭伊神社内にあるが、ここは井伊家ゆかりの神社だ。そしてすぐ近くにある龍潭寺は、井伊家の菩提寺である。
井戸生誕伝説
井伊谷が生んだ歴史上の人物に井伊直虎がおり、井伊家は幕末の大老 井伊直弼に続く名門である。この祖である井伊共保(ともやす)は、井戸の中から生まれたという伝説を持つ。
この伝説に似た話が記紀にも見えるという解説をどこかで読んだが、あいにく確認が出来なかった。いずれにしろ、水の祭祀に大いに関係のある神がこの地には祀られており、その神と接続する伝説であると推測出来る。
またそれゆえに、前回の紀行文で触れた、渭伊神社の境内に祀られている謎のミロード様は、この水の神ではないかと思うのである。
小堀遠州の作と言われる庭は幾何学的な美しさ
龍潭寺は、美しい古刹の寺だった。
枯山水の庭も見ごたえがあり、裏手にある小堀遠州により作庭された庭の景観は、論理的に計算された緻密なものであり、幾何学的な美しさを感じた。一方で、奇麗すぎる嫌いがあり、庭としての一般的な美を認めるものの、個人的には好きとは言いかねると思った。
名刹龍潭寺 大河ドラマをきっかけに持続可能な賑わいが
暑い中であったが、多くの観光客が寺宝や庭を楽しんでいた。また音声解説に耳を傾け、また説明書きを熱心に読む姿も見られた。
私は、全体的に緑が美しく、清潔感があり、地域の人に大事に守られている寺だと感じた。大河ドラマをきっかけに、一層観光客も増え、地域の「守り人」の機運も盛り上がってきたのだろうと思われる。
遠州全体としては、人口も減少し、やがていくつかの寺院や祭りは消滅していくのだと思うが、この井伊谷のあたりは、しばらくは賑やかに、文化財や観光資源としても新しい形と共存しながら、守り伝えていかれるのだろうと思い、嬉しい気持ちになった。
おまけ1:難を転じる厄割石にてストレス発散
龍潭寺の北側、裏手に井伊谷宮があり、こちらは御祭神として「宗良親王」(むねながしんのう)を祀っている。後醍醐天皇の第四王子であり、南北朝の動乱時期にこの地に身を潜めて、そのまま薨去された悲劇の人である。
その魂を慰撫する宮であり、また上述した龍潭寺もまた宗良親王の御位牌を大切に祀っている。
ここには難転厄割石というものがあり、ここに下の写真にある盃をぶつけ割ることで「厄」を遠ざけるというものだ。
厄とペンで書いて、南天(難転)の木が自生する場所にある岩に叩き付け投げ割るのであるが、一度で割れなくても何度も叩き付けて割れればよいとのこと。一種のストレス発散である。
私も人間、憤懣やる方ない思いがいくつかあるので、今回大いに発散、厄として粉砕してすっきりした。これはいい。
おまけ2:おいしい浜松鰻を食べるなら
せっかく浜松、浜名湖周辺に来たのだから、そしてこんな暑い日だから、といろいろ理由があるが、一番はやはりにおいか。
鰻の香ばしいにおいに誘われて、入ったのはこちら。
先日、土用の丑の日に地元のスーパーの鰻を食べ、意外といけるなあと話したばかりであるが、やはりというか比べるのも畏れ多いが、名店の鰻は実にうまかった。
ふっくらと香ばしく焼けており、実に満足だった。価格も東部よりも安い。
人気の店だけに、入れないことも多いらしいが、ぜひ浜松へ旅行する際は、鰻を食されたい。おすすめ!
次回はこちら。