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日本のシュリーマン相澤忠洋 常識を覆した岩宿の発見【紀行文】
群馬県立歴史博物館を後にし、地図上では東に戻るようにして、みどり市へ。高速道路を使えば30分ほどの距離です。前回の記事はこちら。
群馬県みどり市笠懸町の岩宿遺跡へ
北関東自動車道太田藪塚ICで降り、北上すること約10分ほどで、鹿と言う面白い地名の交差点を過ぎると、そこに岩宿遺跡への看板が見えてきました。
群馬県に来て思ったことですが、平地が多いですね。だだっ広い平地が見渡す限り広がっているような印象が強かったのですが、このあたりから山の雰囲気が出てきました。岩宿遺跡は、まさに平野から山裾に変わっていくところにあります。山裾を走っていると、あれ、あそこ何かありそうだなと思わせる場所に岩宿遺跡はあります。
岩宿遺跡の駐車場に車を止め、少し歩くと、すぐに岩宿博物館が見えてきます。緑の丘陵の上に、埋設するように作られています。
まずはここで岩宿遺跡の概要を勉強してから、実際の遺跡を見に行こうと思いました。
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いざ岩宿博物館へ 岩宿を発見した相澤忠洋さんを顕彰
この岩宿博物館は、この岩宿遺跡が日本考古学史上に燦然と輝く素晴らしい遺跡であることとともに、この岩宿遺跡を最初に発見した相澤氏の業績を顕彰する施設です。
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陸地のかたちも大きく異なっていたことでしょう
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岩宿の発見は、世界的にもインパクトのある出来事!
この岩宿遺跡の発見により、日本の考古学の歴史は書き換えられ、そして世界においても、同時期に圧倒的に進んだ石器文明、文明と言えないまでも突出した技術を持った人々がいたことが分かったのです。
相澤氏が岩宿で石器を発見した当時は、日本には関東ローム層の下に旧石器時代がないと思われていました。関東ローム層は、火山灰を主とします。
荒涼とした火山灰が延々と降り積もる地獄のような世界に人は住めない、そう思われていた時代でした。
ところが、その関東ローム層の下から一つの石器を発見したことを契機に、ついに歴史を塗り替える発見をしました。
不遇の時代を超えて、これを成し遂げた相澤氏の情熱には感服するしかありません。
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その情熱は、執念ともいえるかもしれません
しかも、その石器は旧石器時代の単なる打製石器ではなく、人の加工が明らかに見られる磨製石器とも言えるのです。この発見は社会を驚かせました。磨製石器は、いわゆる新石器時代に見られるものです。そもそも人が暮らしていなかったと思われていたところから、とんでもない技術を持った人々の生活の証が出てきたのです。
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とても分かりやすくいい説明です
今、日本の旧石器時代が熱い!
少なくとも日本の旧石器時代研究は、この岩宿の発見から始まったようです。岩宿遺跡では、場所によって異なりますが、約35,000年~25,000年前の石器が発見されています。
土器がまだ現れない、それまでの旧石器時代を<岩宿時代>とも言います。
私の住む静岡県東部には、休場遺跡という岩宿時代の国指定史跡がありますが、こちらは約14,000年~17,000年前の遺跡とされています。
この近くの愛鷹山麓では落とし穴の跡がいくつも見つかっています。三島市にある初音ヶ原遺跡は、約30,000年前のものとされています。
実は、世界を見渡しても、旧石器時代のわな猟の跡は、日本のここでしか見つかっていない世界最古のものらしいのです。
(※先日、youtubeを見ていたら、鹿児島県の種子島 立切遺跡で35,000年前のものが見つかり、今はこちらが「最古」とされているようです。)
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また、沼津市内にある井出丸山遺跡は、約37,000年前の遺跡とされていますが、ここでは、神津島産の黒曜石が見つかっています。この黒曜石は、世界最古級の航海を示す証拠とされています。
当時、世界最先端の技術が日本にあったのではないか、それはなぜなのか、そういった話題が今ホットな考古学や人類学の話題になっています。
その扉を開いたのは、まさにこの岩宿遺跡!相澤忠洋さんの発見なんですね。なんてすごいことなんだろう。
この岩宿のことを知るまでは、旧石器時代は石器の区分や狩猟方法の話ばかりであり、その当時に暮らした人々の精神性や風俗などにあまり言及されないため、正直あまり興味がある時代ではありませんでした。
でも、この岩宿遺跡について勉強していくと、今まさにホットな話題、これから世界に知られていくすごい時代の出来事であり、発見なんだ、とだんだん興奮してきました。
この岩宿博物館の展示、ぜひ見ていただき、改めて日本という土地の成り立ちやその祖先について、思いを馳せてもらえればと思います。
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岩宿ドームでさらに詳しく岩宿時代の人々の暮らしを知る
岩宿遺跡は琴平山と稲荷山という丘陵が接するところにあります。博物館から歩いて5分くらいの稲荷山の切通しの露出面で、相澤氏は石器を発見しました。
現在、遺跡の主要な場所は地点ABCDと整理されており、そのうちのB地点には岩宿ドームという展示施設になっています。そこでは、地層の剥ぎ取りと岩宿周辺で暮らした旧石器時代の人々の暮らしを解説したアニメーションを見ることができます。
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この岩宿を発見した相澤氏は、独学で考古学を勉強し、岩宿を発見しました。しかし一時期、独学であることから「アマチュア」として不遇の時代を過ごしたこともあるようです。
しかし、友人が相澤氏の業績を評価し、徐々に相澤氏の功績であることが認められ、昭和42年に吉川英治文化賞を受賞し、世に認められました。
こうした苦労した偉人の功績をしっかりと顕彰し、盛り立てていこうとする上州の人々の情の厚さ、風土があることが素晴らしいと思います。
岩宿ドームの近くには、相澤氏の銅像が静かに立っています。石器を手に取りじっと見つめる、少し孤独を感じさせるように佇む姿からは、岩宿の発見に執念を燃やした熱い情熱の炎が静かに伝わってくるようでした。
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次は、偶然訪れた三夜沢の赤城神社についての記事です。
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