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北欧の神秘を映し出す芸術作品を鑑賞 静岡市美術館【随筆】

北欧の芸術は、日本人にマッチする?

 美術史で北方というとアルプス以北を指すようだが、今回静岡市美術館で開催されていたのは、ノルウェーなどのいわゆる北欧を中心とした美術作品を一堂に会したものだ。
 あまり日本では、北欧芸術になじみがないと思うのだが、デザインやアニメーションの世界では、マリメッコやイケア、そしてムーミンなどが北欧発祥のものであり、その自然に沿った感性に基づくデザインは、日本的な感性にもマッチしていると思う。

 そうした潮流をとらえてか、この全国巡回展が企画され、この度静岡市美術館にその順番が回ってきた。

意欲的な公立の静岡市美術館

 静岡市美術館は、公立の美術館だ。静岡市内には、草薙に県立美術館もあるが、個人的には、静岡市美術館の方が、面白い展覧会が開催されると思う。
 静岡駅からのアクセスもよく、駅から地下道を通って直ぐであり、近隣に駐車場もある。会場の広さも程よく、広大な館内を歩き回り、展覧会を終わって疲れるということもない。
 常設展示はなく、箱だけの美術館として批判の向きもあるかもしれないが、年に5〜6回ジャンルにとらわれない意欲的な企画展が開催されており、少なくとも県内では、一番好きな美術館である。

 今回の展覧会、実は静岡市を訪れた折、時間を持て余し、ふらりと立ち寄ったところで、たまたま開催されていたものだ。
 ホームページの展覧会の概要を引用する。 

北欧絵画史を総覧できる展覧会
日本では目にする機会の少ない北欧絵画。本展はノルウェー国立美術館、スウェーデン国立美術館、フィンランド国立アテネウム美術館が所蔵する47作家、約70点の作品を通して、「自然」「神話・お伽話」「都市」というテーマを軸に、19世紀後半から20世紀前半に描かれた北欧絵画の魅力をひもときます。

序章 神秘の源泉―北欧美術の形成
1章 自然の力
2章 魔力の宿る森―北欧美術における英雄と妖精
3章 都市―現実世界を描く

静岡市美術館ホームページより 

 タイトルだけを見たときは、あまり興味がわかなかったが、北欧神話に関する絵などもあると知り、じゃあ行ってみようと思ったのだ。

まずは、北欧の自然を描いた風景画から

 北欧のイメージは、雪と氷の世界。
 日照時間が短く白夜の続く世界と夜空を彩るオーロラ。そうした神秘の世界が私の北欧観。
 展示室の序章に飾られた北欧の風景は、そうしたイメージ通りのものだった。陽光が淡く、静かな冷たい空気観をまとっているように思える。
 強い太陽の日が注ぐ地中海、それこそゴーギャンが目指したタヒチを描いた画などと対比すれば、違いは一目瞭然だ。

 高い氷の山が遠くにそびえる谷間からの風景をみて、自然の厳しさの中に住む強い人々を思った。

「雪原」という作品  雪と水と森の国というアイデンティティーを感じる

 また、水や森に対する深い畏れを感じる画も多く展示され、下の水辺を描いた何気ない風景の中に、私も確かに精霊(小さな神々)の躍動を幻視するのだ。

構図に不安定さすら感じるが、この何気ない水辺に精霊を感じる不思議さがある

魔力の宿る森と妖精の棲む水辺

 下の画は、ビーナスの誕生の北欧版アレンジという主題のようだ。荒々しい海の中で生まれる美女、美しい女神を生む母胎の海の表現の違いに驚く。
 全体を覆うトーンも暗く、暗黒の海の中に浮かぶセイレーンのような魔性も感じさせる。北欧の神々に対する意識は、日本のそれと同じで、善悪を超えた絶対値の力を持つ神々なのではないかと思う。

創世神話の女神 戯れに海に漂い世界を作る

 神秘の森に乱舞する妖精の画。
 踊る妖精の姿は、人々を惑わす霧の具現化なのかと想像するが、八の字、∞の輪の中で踊る妖精に、竜神の姿を見るのは私の想像が勝ちすぎるだろうか。遠くで見守る小さな太陽(月)が怪しく光っている。
 黄昏時(もしくは曙・彼は誰時)の逢魔が時の一瞬の幻想なのかもしれない。

踊る妖精たち 遠くの海に浮かぶ月(太陽)が怪しげな幽界へと誘う

 下は水の妖精(ネッケン)を題材にしたものと解説にあったが、官能的な触感を感じさせ、それが水の恵みと危うさを表しているのだろう。

水の精 北欧のネッケンは、男性の形をした水の妖怪(妖精)だ

北欧神話に基づくストーリー

 北欧のイメージは、雪と氷の世界と書いたが、水と森も印象深い。針葉樹林の鋭くとがった葉先と氷の冷たさが、一層厳しい自然を感じさせる。
 しかし森の恵みを受けて暮らす人々にとって、森は同時に生活の糧を与えてくれる女神でもあるのだろう。

北欧芸術は、北欧神話や民話と融合した幻想的な主題が多いようだ

 テオドール・キッテルセンは、ノルウェーでは国民的な画家であり、私も会場でアニメーションと絵本の挿絵を見たが、一目で好きになった。

この展覧会にあった「ソリア・モリア城」は、キッテルセンがノルウェーの民話をもとに創作した物語絵本で、全12枚あり、そのうち3点が展示されていた
森の闇に潜むオオカミは、自然の恐怖の象徴だと思う

 北欧神話にはオオカミが登場する。フェンリルなど重要な神々と関わりを持つもので、神聖視、あるいはとても恐れられている存在であるようだ。

 一方、森の巨人トロルは、巨体がおどろおどろしく描かれるが、実際触れ合ってみると心優しい巨人で、人を守ってくれる存在。
 まさに森に対する人々のイメージが具現化されたモンスターだ。もちろん、森に対する畏れを忘れれば、とてつもない報復が待っているのだろう。 

ドラゴンの眠りを妨げずに進むシーンは他の神話にも登場する
そして北欧神話といえばトロルだが、こうして人との触れ合いや優しさ、時には繊細さが表現されている 

 トロルとは、森の精霊の総称だが、どちらかというと巨大な精霊を指すようだ。キッテルセンの「森のトロール」の映像が、展覧会場の一室で流されており、こちらも鑑賞したい。

英雄のバラッドと民族叙事詩カレワラ

 今、キャンベルの「千の顔を持つ英雄」の概略を読んでいる。世界中の神話には共通する要素があることを発見し、それをまとめ上げた本だ。
 神話の英雄譚に共通するのは、行きて帰し物語。
 
この北欧神話の英雄もまた行きて帰りしの英雄である。

バラッド 歌謡で描かれる妖怪の王に攫われた少女現世を忘れさせる薬を飲まされるシーン
バラッドの英雄が妖怪の王の居城に迫る

 フィンランドの民衆の中に伝わってきた歌謡や口承を、18世紀ごろにまとめたのがこの一大叙事詩カレワラ。たちまち民衆の心を捉え、自国のアイデンティティーに目覚めさせ、やがてロシアの圧政から国を解放する原動力となっていったといわれている。
 まさにペンは剣よりも強し、物語が世界を変えたと言う実例であろう。

カレワラの1シーン
北欧神話の神 オーディーンのタピスリー

 現代は大戦後のグローバル化と統一化に破綻が見え始め、再び揺れ戻るように拡散に向かって時代が流れる混迷の時代を迎えていると思う。

 混迷の時に必要なのは、人々を結びつける物語。平和に導く大きな物語が必要なのではないかと思う。

北欧の作家 ムンクの絵 叫びとは違った落ち着いた生活が想像できる だがフォービズムの強い印象を残す色彩が鮮烈だ

心の底に流れる水脈は通底しているのかもしれない

 この北欧の神秘の展覧会では、厳しい自然の中に暮らす北国の人々の自然に対する恐れや聖なるものへの敬いが、その心象風景として象徴されていると思った。   
 それは、私たち日本人が静かな自然の中でひっそりと感じる神々の訪れに近いものかもしれないと思った。心の底を流れる水脈がどこかでつながっている、そんな感じを持つ。
 北欧神話の荒々しさや巨大な森のモンスターは、そのスケール感と言う意味ではとても大きく、日本人のそれとは異なると思う。
 しかし、そこに通底する自然への思いについては、どこか共通するところがある。
 
 我々が今北欧のデザインや、そしてムーミンなどの北欧のキャラクターに対して、どこか近しい感情を持つのは、こういうところから来ているのかもしれない。
 この展覧会を見終わって、私は心が静まっていることに気づいた。

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タキカワスエヒト
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