見出し画像

神々の降臨を高原の朝に見て、諏訪大社本宮へ その1【登山記】

 信州の富士見町と伊那市にかかる入笠山と大阿原湿原のハイキングを終えて、富士見町にある山路ペンションに向かった。
 前回の入笠山と大阿原湿原の登山記はこちら。

今回宿泊した 富士見町の山路ペンション

瀟洒なペンションで一泊

 下山後、当初の計画では、富士見町の温泉「ゆーとろん水神の湯」に行く予定であったが、この行楽シーズンで大人気らしく、駐車場に車が入りきらないで待っているようだ、との情報が入った。
 それでは、芋洗い状態な上にどれほど待つか分からないとのことで温泉は諦めた。夕食には少し早い時間だったので、くつろぎながらビールと入笠山ハイキングの振り返り、そして次回の登山計画を部屋で立てることにした。

 まもなく夕飯の呼び声がかかり、食堂へ。宿泊客は他にも3組ほどいた。ペンションの美味しい夕食とビールを堪能した。夕食前のお酒とそして美味しいビールにすっかり酔い、また電車の長旅と登山の疲れからか、どうやら部屋に帰ると、ぐっすり寝てしまったらしい。

ペンションに泊まるのは、本当に久しぶりだがドアのレースの飾りなども、イメージ通りの高原のペンション感があって、私はとても満足。

朝靄棚引く八ヶ岳山麓の朝

 私はいつも5時ごろ目を覚ます。
 同室の方が、まだぐっすり眠っていたので、私も6時ごろまで蒲団の中でゆっくりしていた。6時過ぎならもうよいだろうと、ごそごそと蒲団を抜けだし、周辺を散策することにした。さすがに10月の高原。空気は冷たく住んでいて、ペンションのドアを開けると「寒っ。」という声が思わず出た。
 上着を羽織って出かけた。

朝靄棚引く高原の朝 視界ではこれら電線が消えていて、美しい景色だった。人間の目は、見たいものを見るのだとは、こういうことだと思った。

 ペンションを出ると、朝靄棚引く田園風景が八ヶ岳の麓に広がっていた。 
 朝焼けで、八ヶ岳は赤く染まり、そしてしばらく経つとその赤く染まった雲海の下に八ヶ岳の力強いギザギザの八つの頂が見えてきた。
 思わず拝みたくなるような神々しさだった。
 朝靄の中に浮かび上がる巨大な山容、山塊。これは古代の人々にとって自然の畏怖と力強さを感じさせるものであったろう。この麓に暮らす人々は、この自然を、神々として崇めたと思う。今の私もそのような気持ちになるのだから。

落ち着いた山並みを眺めているだけでも心が落ち着く

 辺りを歩くと、たくさんの石仏や石碑がある。この辺りは石神信仰と呼ばれる石仏、石棒信仰などが今も根強くあると聞く。
 行く先々に石の構造物があり、石仏、神像、そして石碑などいろいろある。お墓もその中にある。鳥居もあることから、神社もあるのだろう。至るところに神や仏、そうした聖なるものが顕現している。自然から感じた濃厚な聖なる気配を、道端の石仏、神像として刻んだのだと思う。そこに、神仏の姿かたちはあまり関係なく、ただ石に刻んだ人の心に現れた形を素直に表したのだろうと思う。

道端にあったお社と神像 両脇にあったのは、かつての鳥居なのだろうか

 あたりが明るくなってきた。寒さも和らぎ、歩いたことで身体も温まり上着を脱ごうかと思った。頃合いなので、ペンションに戻ると間もなく朝食だった。
 入笠山ハイキング後、この2日目の予定は明確には決めていなかった。ただお昼ごろの電車で、静岡に向かわなければならない。
 そこで私たちは、隣の茅野市や諏訪市にある諏訪大社上社へ向かうことにした。諏訪大社本宮から神長官守矢史料館、そして諏訪大社の前宮へ行けたら行こう、という計画にした。

雲が明るく光を反射し、一層八ヶ岳の山頂が輝いていた

諏訪大社本宮へ

 タクシーで諏訪大社本宮に向かう。9時前に着き、まだ土産物屋は開店準備中だったが、既に多くの参拝客がいる。私は、この本宮の方にお参りをするのは久しぶりだった。巨大な石の鳥居を潜り、石畳を進んだ。

 諏訪大社には本殿がなく、幣拝殿が設けられている。そこは正面から歩いて行き、左手の方向にある結界の向こうにある。
 本宮にはタケミナカタノカミが祀られているが、この社殿は守屋山の方を向いているようだ。だが実際に感じるのは、この後訪れる神長官守矢史料館の敷地内にあるミシャグジ神社を拝んでいるようにも見えること。
 このあたりについては、諏訪大社や諏訪地区の信仰に興味を持って以来、いろいろ語られている説を踏まえての感想だ。

 この諏訪大社の本殿の向きは歴史的にいろいろ改変されているようなので、また調べてみたいが、現在向いている方向は明らかに異質だ。

幣拝殿には、直接行くことが出来ず、手前の参拝所から拝む形になる

 参拝所から、通常参拝し境内を歩いた。幣拝殿の方向が異質なため、御柱の位置関係も、ほかの諏訪大社と異なる位置関係になっている。

すっくと立つ一の御柱
四の御柱は遠くにあり、遥拝するのみ

諏訪大社の宝物殿にぜひ訪れてみて

 諏訪大社の境内に宝物殿がある。この宝物館に入った事はなかった。普段は締まっているが、社務所に声をかけ入館料を支払うと入ることが出来る。  

 中は小さいながらも充実した展示があった。諏訪大社に関係する様々な文書のほか、この諏訪大社周辺に伝来する縄文時期からの遺物などが展示されていた。
 諏訪大社の祭りごとで使われる薙鎌や鎧、鹿食免などのサンプルがあった。諏訪の歴史を深く知るためにはぜひ訪れてほしい博物館だ。私としても初見の資料がかなりあり、とても興味を持った。
(この宝物殿の収蔵物だけで、note記事を一本~二本書けそうである。)

鉄鐸で銅鐸の後継とされるもの。音を鳴らすためのもので、その意味でも「サナギ」とも言われていた。沈黙と音が重要だった古代・中世において、祭祀に必須の道具だったと思う。
鹿がなければ諏訪大社の神事は始まらないと言われるほど、密接に鹿と諏訪大社は関係がある
御頭祭に並べられる75頭の鹿の頭は、異様だが、縄文から続く狩猟生活の原初的な名残ではないかと思う。
諏訪大社の神紋に描かれる梶の葉についての説明
由来として機織りに関係する説や幣(神事に使う神)から来ている説などある
偕老同穴という縁起物の珍品(エビの住処)
夫婦仲よく苦楽を共にするということで結婚式で引用されるもののようだ

諏訪について書き始めると、どうしても長くなってしまうので、今回はここまで。次回も、入笠山、大阿原湿原ハイキングの続きとして、諏訪大社~神長官守矢史料館~前宮について書きます。

いいなと思ったら応援しよう!

タキカワスエヒト
サポートいただけたら、より勉強してよい記事を書いて行きます。ちょっと遠くの気になるあの場所の紀行文を書きます。

この記事が参加している募集