私の人生を変えた人 名越康文
何とか毎日投稿出来ている。一週間ぐらいは連続投稿しようと思っているが、今日明日明後日と書きたい事が多すぎる。
今回は私が最も尊敬している人の事を書こう。
名越康文という人をご存知だろうか。
シューイチなんかで見たことのある人も多いかもしれない。
精神科医であり歌手でもある、メガネを掛けた関西弁の親しみやすいおっちゃんなのだが、私が人生で唯一、大尊敬しており全幅の信頼を置いている人物でもある。親を除けば、いや或いは親以上に私の人生に多大な影響を与えている人だ。
出会い
私が名越先生を知ったのは今から約3年半程前、当時は一番ゲームにのめり込んでいた時期で、ゲームライターさんなんかを除けば、その年ゲームをプレイしていた人の全世界上位5%位には、入っていたと思う
5538÷338で一日16時間位?ここまで好きになれる物がこの世にあるって幸せですね。まあ実際は集計方法の問題で、コントローラーを握っていた時間としては、せいぜい4000~4500時間ぐらいだろう。
そんなゲームに勤しんでいた日々、とある動画と出会う。それがこの動画
YouTubeのホーム画面に何気なく出てきた動画で、ふっと目にとまった。
ゲームさんぽという企画で端的に言えば、色々な分野の専門家と一緒にゲームをさんぽ(解説、実況)しよう!という物である。
元々、なむさんという方が発案し、現在は主にライブドアニュースが企画制作している。(結構オープンなプラットフォームで色々な方がやっている)
今回、名越先生がさんぽしたゲームはDetroit: Become Humanというゲームで、当時のアドベンチャーゲームの中でも頭一つ抜けた作品だろう。これが初めてプレイしたアドベンチャーだと言う人も多いはず。
私はこのゲームを実際にプレイしてストーリーも知っている。だからこのキャラクターはこういう性格だというのも大体分かっている。
一方この名越先生は一切何も知らない。ストーリーもキャラクターも世界観も何もかも完全な初見だ。それなのに何故か、本来長時間プレイしないと分からないような、その人の本質的な部分をズバズバ当てて行く。ネタバレになるので詳しくは書かないが、初めてこの動画を見た時の、凄い人と出会ってしまった…と言う感覚は、中々形容できない。
が、当時はまだまだ「こんな凄い人がいるんだな~」ぐらいの感覚で、特に過剰に入れ込む程では無かった気がする。(ファンにはなったしその後の先生が出演した動画は全て見た)そしてこの辺りから漠然と人の心の世界に興味を持ち出す。
舞台『カタシロRebuild』
そこから役2年後またまたYouTubeで、とある動画を見つけ、サムネイルに惹かれて思わず視聴。それはカタシロRebuildという舞台のPV動画だった。
ホームに出てくるという事は自分と何かしら関連があるのだろうと思い、概要欄を見ていると、そこには「マコト役:名越康文」という名前があった。PVを配信しているチャンネルで全編無料で公開するらしい。
こんなん絶対面白いやんけ
精神科医が舞台に立つと言うだけでそそる物があるのだが、それが名越先生とあれば見ない訳には行かない。意気揚々とその日を待ち、そしてついにやって来た。
当日
今でもはっきりと覚えている。当日、私は机に向かい、いまこの文章を書いている24インチのモニターでこの舞台を鑑賞していた。夕食を食べながら見ていたのだが、食べている最中に食事をする事を忘れたのは、あれが生まれて初めてだったと思う。途中から完全に手が止まっていた。
見終わって、エンディングが流れ始め、終わった後、数分の間何も流れていない画面を見つめ続けて、感動とも驚きとも何とも言えない感覚が襲って来て、大号泣していた。あまりにも泣きすぎて母に心配された。
皆様も是非とも。出来れば大画面で明かりを消して、トイレを済ませてコメントは表示せずに見る事をおすすめします。
何が良かったのか
後日談にて本人達も話していたのだが、感想を言えない。
何が良かったか、と聞かれても上手く言えない。正確に言えば部分的には言語化できる。でもそれが全てでは無い気がする。
名越先生がその後話していた事で当てはまる物があった。
この舞台を見て3パターンの人がいて
一人は「ああ、良かったな、面白かったな」で終わった人。
もう一人は「あんまり私には合わなかった。面白くなかった。」
で終わった人。
三人目が「言葉にならない物を受け取ってしまった人」
私は完全に三人目だ。この物語は死ぬまで覚えているだろう。最近ようやく自分の中でヒントを得てその一つを言語化できた。それは始めて良い大人に出会えた。という感覚だと思う。
私は幼少の頃から大人に対してある種の不信感を抱いている。嫌いな訳では無くて、普通に仲良く接する。ただ、何処かで信用できないような感覚だ。小さい頃から色々な大人が家に出入りしていて、或いは母や母の周りの人間を見てきて、大人の良い面よりも悪い面の方が目に付いた。
カウンセラーや教師、市の職員でも「この人は仕事だから私に関わっているのであって、この人自身としては私を助けるぎりはないんだし、助けたいとも思ってないんだろうな」と、かなり自己中心的な考えを持っていた。
この物語を通じて、私の将来の手本を。本来子供達に見せるべきである大人の姿を教えてもらった。そんな感覚はあったと思う。私の中の大人への不信感を打ち砕いてくれた人。周りの人間が敵では無く味方だと思わせてくれる勇気くれた人。私にとって名越先生はそんな人だ。
その後
舞台を見終わって放心状態のまま床についた次の日、母に精神科医を目指したいという事を告げた。ただただこんな人になりたい!と言う憧れの一心だった。ただ問題は、当の憧れている名越先生本人が精神科医なんて絶対なるなよ!と言ってる点(笑)
結構この辺りでまだ揺れている。私が学問に向いているか、向いていなくても意志が強ければなれるだろうし、そうでなければ無理だろう。まあ人生そう言う物なのでそんなに深刻にはならない。
この辺の事一度会ってお話ししてみたい。ただ怖い、物凄く怖い、畏敬の念からか、会うと自分の全てを見透かされそうだからかな。でもちょっと見透かされてみたい気もする。
とりあえず名越先生と初めてお会いする時が来たら最初に聞きたい事は名越家のお墓の場所かな。先生が亡くなったら毎年参りに行きたい。
…重いかな