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悪足掻きして、根負けして、観念して、選び直す。

キネシオロジーを学び始めた頃、セラピストになる気はさらさら無かった。
にもかかわらず、あれよあれよという間に、色々な方と出会いセッションをさせてもらい、修了証を頂けるまでになった。

最近になって初期のノートを見返してみて、やっぱり自分の「持ち味」を自らが発揮せんことには人生はどうも滞るのかもしれないゾと思い直した。

「自分探し」なんて言葉ではちょっと甘ったるく聞こえるのかもしれないのだけれど、まずは「自己理解」することが人生を軌道修正していくのに割と大事だった。
2tトラックが軽自動車の小回りを利かせようったって無茶で。
梅干しはどう頑張っても酸味を隠せないわけで。

これまではあまり近寄りたくなかった易学にも挑戦し、自分や他人を読み解かせてもらった。
易学が示しているのは、結局は自然の摂理だった。

「占いが当たってないのは己の天命に背いているから…」というノートの走り書き。
・・・なんか腑に落ちる気がした。

自分らしさか〜

思い返せば、私は私を人見知りだと思い込んできたな。
正直、人と関わるのはどっちかっていうと苦手だし、あまり晴れがましいのは得意ではない。
それとは裏腹に、私は「あなたは人見知りだよね~」とか言われたことがほとんどないし、何かと人と関わる局面に出くわす。
人前で話さなきゃいけないときだって、適当に凌ぐので精一杯かと思えば、そんな時のほうがリアクションが良い事もある。

ん•••辻褄が合わんぞ?

人見知りとか言うくせに人と話すのは好きなんじゃないか。
ひょっとしてコケたときの保険に人見知りを使ってたんじゃねえか⁈
つまりは、いざとなれば喋れてしまう自分を認めてなかった、だけのことだった。

今まで色々とセッションやカウンセリングを受けたけれど、
あなたは人の輪の中に出ていくべきです!
ことごとく言われちまっている。
人見知りぶっていたのは自分の独り善がりな演出に過ぎない(ガビーン)。

セッションをしてくれた人に対して、そんなの受け入れられません〜と言い返しても、「世界の為だと思って自分を受け入れてください」と言われたこともあったな。
受け入れてこなかったから、今まで裏目に出る人生だったんだ。


ならば。
今度は逆の逆を選ぶ。

自分で選ぶ。
自分で選ぶ事を選ぶ。

人の為っぽいことをするより、自分らしさを見つめて発揮することが、結果として世の為に役立つとしたら。
好きな事や得意な事はもちろん、占いに”寄せる”のもアリだと思っている。

選択こそ始まり。

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