作曲のショートカット
作曲って、すごい音感を持っている人なら、例えば吉田美和や甲本ヒロトのような、楽器はそんなにやらなくてもメロディをかける人なら、心から湧き出るものを形にできるのだろうと思うけど、そうでない人はどうしたらいいか、というところで。
一番簡単なのは「既存曲のコードにメロディを乗せる」ことで、これってコード進行だけだと著作権がないんですよ。ジャズの世界だとチャーリー・パーカーがそれに気づいて、いろんな名曲を生み出したわけですが、チャーリー・パーカーも理論派というより「感性の人」だと思うので、真似しようがないというか、もう才能の世界かなと。
一方で、アカペラやギター一本で成立するような名曲はそうそう生まれないわけで、メロディにこだわりすぎると曲を作れなくなるわけです。ギタリストが作る曲が意外と「語り」だったりするのはそのせいだろうと思うのですが、メロディよりも「語り」に近いんですよね。言葉とセットというか。
逆にメロディから作ることで成功しているのは、メロディもオケの一部としてしまった小室哲哉や、メロディを曲の一部としてクラシック的なアプローチで作っているYOSHIKIあたりではないかと思います。どちらにしてもアプローチが異なるので、それぞれ真似てみるしかないのですが。YOSHIKIはそもそも音大を目指していたくらい理論に強いので譜面も読めない状態で真似するのは難しいと思いますが、いろんなクラシックの曲をコピーしてみると見えてくるんじゃないかと思うのです。
槇原敬之は完全に「言葉が先」なので、言葉がうまく乗るようなメロディを作るしかないわけで、これはこれでやってみるしかないというか、言葉を紡ぐ才能がないとなかなか難しいものだったりします。
自分は洋楽はあまり聴かないのですが、洋楽は意味をもたせるよりも「響き」で作っているような気がしていて、所謂「韻を踏む」みたいな世界というか。乱暴に言えば「歌詞の世界なんかどうでもいい」というか。だいたい日本人で洋楽聞いている人の中でどれだけ歌詞を理解しているのか、、、とも思ったりもします。
音楽理論で言うところのソルフェージュなんかでも、結局は「気持ちの良いパターン」を知ることができるという話で、つまりは「ある程度決まった形がある」とも言えるわけです。それを破壊するのがオリジナリティだと思いこんでしまうと、なかなか難しかったりもします。クラシックが時を超えて愛されているのは、そういう「気持ちのいいパターン」を踏襲しているからでもあり、不変のものでもあり。最近でいうと東京事変なんかは割と「気持ちの悪い」ことをやっていますが、彼らはそれを聴かせるだけの技術があるからであって、素人がやると破綻します。
ジャズのコード譜は所謂「黒本」で学ぶことが出来ますし、クラシックの楽譜は世の中に溢れていますし、そういう既存曲の「進行」をベースに、自分なりのメロディを乗せてみる、というのが作曲のショートカットではないかと思います。