ありのままを見たければ色眼鏡を増やせ。
ありのーままのーすがたーみせーるのーよー♪
って、歌ってくれてるプリンセスには申し訳ないけれど、ありのままの姿をとらえるってのは無理な話。
(例えがすでに古いというのはそっと置いといてください)
だって、人が何かを見るときには、必ずフィルターがかかっているから。
全くなんの偏りもなくありのままに物事や人を見ることができるなんて、神様くらい。
自分がそうできているなんて思ったら、えらいことになる。
もしもフィルターを外すことができれば、ありのままをとらえることができると思う。
でも、それはほとんど不可能に近い。
フラットに物事を見るというのはそれだけ難しいことなのだ。
色眼鏡を増やせ!
フィルターとは、いわゆる色眼鏡である。
色眼鏡で物事を見ることは、批判されることが多い。
偏ったものの見方をされて、判断されてしまうことは、誰でも嫌でしょう?
じゃあなんで偏った見方になってしまうのか?
それは色眼鏡を一つしか持ってないから。
もし二つなら、一つよりは正確に捉えることができる。
四つならさらに、十こならもっと。
つまり、色眼鏡の数が増えれば増えるほど、ありのままの姿をとらえることに近づいていくのだ。
偏見というのは、偏った見方のこと。
言い換えると、その物事や人を捉える視点が少ないということ。
多くの場合、自分が色眼鏡をかけていることにさえ気づかないことが多い。
気づかないまま、フラットに物事を見ているつもりになっている。
これが一番怖いこと。
人間関係がうまくいかない原因のほとんどはここに起因すると思っている。
じゃあどうするか。
まずは自分が色眼鏡をかけているということに自覚的になること。
次に、色眼鏡を増やすことだ。
その子や物事の見方を数限りなく増やしていくことで、限りなくありのままに近い姿をとらえることができるようになるのだ。
色眼鏡を増やすには?
知識を増やすことだ。
そう、勉強するのである。
特別支援の視点は?
学習科学の視点は?
人間関係の視点は?
心理学の視点は?
脳科学の視点は?
哲学の視点は?
などなど。
知識が増えることは、自分のものの見方を増やすことと同じ。
知らなければ見えないものは、たくさんある。
知らなければとらえられないものも、たくさんある。
名前を知らない現象を正確にとらえることができないのと同じである。
勉強だけでいいのか?
勉強して知識を増やすと共に、いろんな人間と関わり、いろんな経験を積むことも大切だ。
知識は実感を伴うことで、本当に自分のものになる。
ざっくり言うと、「こんな時こんなことするやつがいるのかー」っていう経験を積むこと。
「こんな考え方もあるのかー」とか、「こんな反応することもあるのかー」とか。
知識と経験を増やすことによって、その子の行動や言動一つひとつに対する解釈のパターンが増える。
ひとつの事象に対する解釈の幅を広げることが、色眼鏡を増やすということた。
ありのままの姿をとらえるためには、知識と経験を得ることで色眼鏡を増やすことが大切、という話。
「なぜ勉強するの?」に対するひとつの答えだと思う。
より良い人間関係を築くためには、色眼鏡を増やして、ありのままに近い姿をとらえることが大切なのだ。
僕の仕事は小学校の先生だ。
子どもたちのありのままの姿を捉え、可能性を最大化させることが僕の仕事。
そのために、無限に色眼鏡を増やしていきたいと思う。
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