もやしせいかつnにちめ

 いわずもがな一人で過ごす時間が多い。大学の講義を受け課題をこなし、youtubeやらAmazonPrimeやらの動画を見て、レシピをぐぐってご飯を作り、友人と電話やZOOMで話しながら酒を飲んだり大富豪をしたり。今こうして記事を書いている瞬間も含め、生活のほぼすべての時間画面に向き合っている。

 気温も上がりすっかり春から初夏に移っていきそうな気配が漂う。本当ならば、学校の講義が終わればガンガン街へ繰り出し、目黒川沿いを歩いてみるとか適当な駅で降りてみて駅前の商店街をうろついてみるとか、同級生が就活に入る前に会いに行って酒を飲むとか、そんなことがしてみたかった貴重な大学2年の春でもあった。もちろん金土日あたりで休みが組めれば自転車とともに名古屋の友に会いに行くくらいしていただろう。

 本能の赴くままにそんなことをしている時間が’きっと’一番幸せだ。’きっと’なのだ、反実仮想、未実現。お陰でこちとら心なしか肌が白い。これじゃもやしじゃないか。春から夏にかけては次第にこんがりと焼けていくし、体で季節感を表現できることが心地よくさえある。それがなんだ、全然日光を浴びていない僕はもやし同然ではないか。スーパーの野菜コーナーでじゃがいもや玉ねぎ、キュウリでさえ1個ずつ数十円で売られている中、袋にぎっしりと押し込まれ蛍光灯で光り輝くあの1袋30円のもやしではないか。

 なんだかわけのわからないことを言ってしまった気がする。結論もやしは1本では存在感が薄い。キャベツや豚肉、魚とかとわしっと合わさることで料理を引き立てる。人と関わることもなく、自室にもやし1本ではどうにもならないのだ。せめて枝豆くらいにはなりたいものである。

 ちなみに昨日の夕食では、生鮭ときゃべつときのこともやしをバターと塩コショウで蒸し焼きにした。もやしはこうでないといけない。結論もやしはおいしい。

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