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【解の一つ】「正論について」仕組みと納得し難い理由

 何かを議論しているときに、いわゆる「正論」を吐かれて言い負かされてしまった経験はないでしょうか。言っていることが正しいことは分かるのに、なぜか素直に納得し難いのが正論というものです。

 今回は、正論の仕組みとなぜ納得し難いのかについて、私なりの考察を述べてみたいと思います。


① 正論とは

 正論の意味は辞書によれば以下の通りです。

道理にかなった議論

広辞苑

 辞書的な意味とは別に、私の中の正論という言葉のイメージは「主観や感情を排除した冷たく無機質な意見」です。

今の世の中では、「道理にかなった議論」というよりは、「あまりに論理的且つ客観的すぎて、かえって現実的でない意見」というニュアンスで使われることの方が多いような気がします。

② 正論の仕組み

 正論は、ロジカルシンキングの枠組みの一つであるピラミッドストラクチャーを用いて上図の通りに表すことができます。一般的に正論といわれているのは図の「主張」の部分で、論理的な理由と客観的な根拠によって支えられており、論理的には隙のない構成となっています。

③ 正論が納得し難い理由

 それでは、論理的には理解できているはずの正論に納得がいかないのはなぜなのでしょうか。それには、論理の仕組みと個人の価値観が関係してきます。

 下図は、先の「正論の仕組み」に前提条件の階層を追加したもので、ロジカルシンキングで見落とされがちな「論理の前提条件」を表しています。

 あらゆる論理には、発言者の価値観に基づいた前提条件があります。人は意識的であれ無意識的であれ、この前提条件が正しいという仮説の元、主張をし、その主張が正しい理由や根拠を考えていきます。これは、正論でも変わりません。

 そして、論理的に理解できているのにその意見に納得できないのは、この前提条件に対して納得ができていないから、つまり、発言者との価値観の相違が原因だと考えています。私は、この状態を「感情が納得していない」状態と呼んでいます。

 一つ例を出しましょう。これは以前私が勤めていた会社で実際にあったことです。ちなみに、私の勤めていた会社は農業関係の専門商社でした。

 当時、その会社ではある事業部で赤字が続いており、何らかの対策を打たなくてはいけない状況でした。そんな時に親会社から、子会社の改革の指示を受けた元経営コンサルティング会社勤めの人間が送り込まれてきました。とてもロジカルシンキングが得意な方でした。

 当然、その赤字事業部は目を付けられ、過去から直近に至るまでの実績を丹念に調べられ、赤字の原因を究明され、抜本的な改革案が提出されました。その案の中には、効率化、コスト削減、儲からない商売からの撤退などがあり、その多くが事業の黒字化に向けて取り組む必要があると納得のいくものだったのですが、いくつかの案が、その赤字事業部の方から反対を受けていました。

 それは、支店の閉鎖と大口仕入先との取引中止というものでした。いずれも、赤字の原因になっていることは過去の実績からも明白で、その事業部の方もそれは理解をした上での反対でした。反対ではあるのですが、その理由については上手く説明ができず、しかし、反対であることは譲らないという議論にならない状態がしばらく続きました。

 この状態こそ、先述の「感情が納得していない」状態に陥っていたのだと思います。そして、そうなった理由は、価値観の相違にあると思うのです。

 親会社から来た方は、「赤字事業部を立て直し、黒字にすることが何よりも優先」という前提条件の元、改革案を作成したのだと思います。一方で、赤字事業部の方は「黒字化に向けて努力は必要だが、それでも過去の取引の歴史や取引先との関係性も考慮して改革を進めなくてはいけない」という前提条件があったのだと思います。また、その事業部の責任者には個人的にその支店や商売への思い入れもあったのだと思います。

 互いに異なる価値観を基にした前提条件の元で議論をしていたので、親会社の方の「論理的な説明=正論」を聞いても、赤字事業部の方は納得できなかったのだと思います。そして、赤字事業部の方が、自分の前提条件を上手く言語化して説明できなかったところに、議論が平行線を辿ってしまった原因があったように思います。

 結果的には親会社と子会社の力関係もあり、親会社から来た方の改革案が通ることとなったのですが、私が退職するときまで、社内で不満が燻ぶっているような状態でした。

④ 正論の発言者と議論するには

 これまで書いてきた通り、正論は論理的には隙のない構成なので、その主張・理由・根拠に対して異論を唱えるのはなかなか難しいことだと思います。なので、前提条件部分に絞って議論をしてみるのが得策です。

 「相手の主張は何が目的なのか」、それを考えると、相手の前提条件が見えてきます。それを自分の前提条件と比べ、その部分に絞って議論ができれば、お互いの価値観の擦り合わせができ、議論の結果「感情が納得していない状態」になることも避けられると思います。

⑤ 正論は決して悪ではない

 正論というものは、イメージとしてはマイナスな印象がありますが、決して悪ではありません。前提条件が違っているだけの論理的な意見に過ぎません。むしろ、感情や曖昧な根拠に基づく意見だけでは、時にほころびが生じることがあります。それを補う意味で正論は有益です。

 私は、世の中に絶対的なものはないという考えの持ち主ですので、正論は絶対悪ではなく、絶対善でもない。使い方次第で善にも悪にもなるものだと認識することが大切だと思っています。論理の根幹である前提条件にフォーカスした議論の機会を与えてくれるものとして、ポジティブに捉えても良いのかもしれません。


⑥ まとめ

  • 「正論」は言っていることは理解できるが素直に納得し難いもの

  • 辞書的な意味は「道理にかなった議論」、投稿者的には「主観や感情を排除した冷たく無機質な意見」

  • 正論はロジカルシンキングのピラミッドストラクチャーの枠組みで構成され、論理的には一見隙のない構成

  • 全ての論理は、個人の価値観を基にした前提条件を元に構成されている

  • 正論が納得できないのは、価値観の相違による前提条件の違い

  • 価値観の相違によって納得できない状態を「感情が納得していない」状態という

  • 正論を吐く人と議論するのであれば、論理的に構成されている主張・理由・根拠の部分を避け、個人の価値観が反映されている前提条件部分に絞って行う

  • 正論は、曖昧さや感情を排除しているので、それらの意見と相互補完的な役割を果たしうる

  • 重要なのは価値観の擦り合わせ

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橘 大悟
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