『最後の一葉』 故人がコーヒーチケットを使い切れなかった話
intermission. 最後の一葉 〜故人がコーヒーチケットを使い切れなかった話
故人となった人が生前、カフェのコーヒーチケットを使い切れずこの有名な物語を連想していたのをふと思い出し、今回改めて読んでみました。
オー・ヘンリー『最後の一枚の葉』青空文庫より
子供の頃に読んだ時とは随分印象が違いました。やはり大人になってからの方が思うところのある物語かもしれませんね。
今回は読書感想と考察になります。連作中の箸休め的に書いています。
一篇読み切りintermission、よろしければ暫しお付き合いください。
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さて、O・ヘンリーのこの有名な物語『最後の一葉』には3人の登場人物が出てきます。
と、・往診の医者 ・アパートの大家さん ですね。
(・ジョンジーは「ジョアンナ」「ジョアナ」の愛称。
・ベーアマンさんは訳によっては表記が「ベアマン」「ベルマン」さんの場合あり。)
故人となったその人は何故コーヒーチケットにこの物語を連想したか。
その人は病に冒されていました。病は長い時間をかけて、じわじわとその人の身体を蝕んでゆきました。急性の悪性のものではないようだという話で聞きましたが、だがしかしどうやら完全に切り取って全快できるような部位でもないようでした。
それは多分、ある意味では残酷な…蛇に生殺しにされながら絞められてゆくような苦しさと長く付き合うということでした。
…この人生がいつまでか分からないが、いつか、確実に自分は死ぬ。…誰もが皆本当はそうなのですが。
あと何回そのカフェに足を運びコーヒーを飲む機会を持てるかはその人にも分かりませんし、コーヒーチケットの残された枚数を数えながら……次回のカフェ時間を想像し気力を奮い立たせる時もあったかもしれません。
その人が『最後の一葉』で共感したのは、人生的には老ベーアマンさんであり晩年はジョンジーでもあったのでしょう。
周りの人がスーの立場であることにも気を配っていました。
「あのコーヒーチケットどうしようかな?お店開店の時によりによってたっぷり枚数の買っちゃったんだよねぇ」
「…長生きしてくれよ。それ、使い切って次新しいのまた買えばいいじゃねえか。長生きしてコーヒー飲んでくれ」
「…そりゃそうしたいのは山々だけどさ。」
人生の残りの時間は誰にもわからないものです。…神様か死神しか…。
この『最後の一葉』の物語の中でもそれは医者にもわからない、そんな事として描かれています。
故人の名誉の為に一言書いておきますが、その人は老ベーアマンさんのように筆を折ることはなく、最後の最期まで描き続けた高名なイラストレーターでした。
その人は航空の分野で名を馳せた芸術家でした。彼は古今東西ありとあらゆるヒコーキたちを生涯描き続けました。ホンダジェットもC-2輸送機もオスプレイも。新しく登場した航空機たちも最新の情報を取り入れて描きました。
写真だけの資料で満足することはなく、現場に足を運び観察し情報を更新し続けることも忘れませんでした。絵は益々生き生きと、画紙の枠を越えて今にも飛び立ちそうな機体たちと、その周辺で働きその仕事を支える人たちとを共に描き出しました。
私は何を渡せるだろう。後に続く人たちに。
できれば宿題じゃなくて、自由な未来を渡せるといいな。
先代の大人たちからうっかり託されることになってしまった宿題を今解きながら、自分も老ベーアマンさんに共感できる程には大人になったのだな…と改めてこの『最後の一葉』を読んでみて思うのです。
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さて次回chapter3. は
舞台は1973年国際航空宇宙ショーat入間。
若きNobさんと彫刻家先生がいよいよ登場です。