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「生きる、を改める。(精神科閉鎖病棟卒業後)」
ここ数年、派手な大量服薬もしなくなった。
ここ数年、悲劇のヒロインぶることも減った。
全盛期が終わった、といったところだろうか。
初めて大量服薬した高校1年の春、まさかこんな人生が後に待っているとは知らず。わたしは12年前の、この自己破壊行動をしたせいで、拗らせてしまいアラサーになった今も苦しんでいる。
定期的に入院しては退院を20歳まで繰り返していた。
最後の入院となった閉鎖病棟では、試行錯誤し、トイレで首を吊った。
遠のいてく意識の中、記憶にあるのは看護師さんたちがほぼ全員いて、ストレッチャー、担当医に連絡‥みたいな会話があったのは覚えているが気がつくと監視カメラ付きの保護室にいれられた。筋注済み。
翌朝、起きたら母が手を握ってくれていた。そして「生きてて良かった」って涙を流してくれてた。
いろんな気持ちの「ごめんね」を伝え2人で泣いた。
保護室にいた5日間はすごく長く感じた。
うまく生きることも、シぬこともできない、もう消えたい‥と自暴自棄になったし、自分に絶望した。保護室にいた5日間は、自分のことを見つめたくもないのに、時間がなかなか進まず、嫌でもぐるぐる考えが脳裏をよぎり、することもないので、ベッドに横になり天井を見て、点々を数えたり。
その時は拒食だったので看護師さんがラコールを持ってくる時の二重扉が開く際、「あぁ、わたしは大変なことをやらかしたんだ」と思い知らされた。
「わたしをみて!」「わたしここにいるよ!」等、境界性パーソナリティ障害の症状が本当に優位だった。
その頃に比べたら、今はだいぶ落ち着いたなと自分でも感じるし、他力本願な「助けて!」的な考えに至ることはほとんどない。
自分のストレスをうまく消化できる方法を、いくつか身につけたからかもしれない。
晴れてる日なら、わんちゃん連れてお散歩に行ったり、この時期だとウォーキングがてらお花見したり。
外に出られない日であれば、おやつ食べつつ大好きな珈琲を優雅に飲むとか、部屋の掃除するとか、YouTubeみるとか。
高山の考えなので聞き流して頂きたいのですが‥。
過去は過去です。もう過ぎ去っています。
今は今です。「今」を大切にするから「未来」がより良いものに変わっていきます。
わたしは、過去の出来事を美化して、ずっと気持ちは過去のままでした。
只管、思う存分気が済むまで脳内で繰り返し「わたしはこんな環境で育った、不幸だ、だから生に抗うのは普通のこと、薬を身に纏うのも仕方のないことだ。」と思っていました。被害者ぶることで自分を保っていた、気がします。
しかし、この考えのまま生きていくことは、難しいと気付いてしまった。気付いた後は毎日自分の考えと葛藤です。
「こう生きるのは仕方がない」という考えと同時に「ちゃんと生きたい」と2つの狭間で悩みもがき苦しんだ。(現在進行形かもしれないけれど。)
とことん追求し、過去に浸ったので、次は「今」を大切に生きようとしているところです。
あでゅ。