二軸の先
先日、50代の知人と世間話をしていたとき。
曰く、
「今まで、流れに身を任せ、ここまできた。
ビジネスで困る程のことはないし、
何かが起こっても、なんとかなることも分かる。
でも、何か『コレ』というものを
やってきていない虚しさがある。
『このままでいいのかな~』って思う」
御人は、20代で起業された方。
当然、荒波を超えてきていらっしゃるし、
仕事も趣味も、超がつくほどの追求型。
なので、お話を聞き、ちょっと意外でした。
と同時に、僭越ながら
私自身もずっと「コレ」を
探していたなぁと。
探していた、というのは、
今は「コレ」に手を伸ばしているから。
そんな私が、御人の言葉を聞いて
改めて思ったことがあります。
どこまで言語化されるかは別として、
自他を超えたものに傅きたいと
思っている方は多いんじゃないかなと。
(もちろん、優劣でも、
そうじゃないといけない、
というわけではありませんが。)
今振り返ってみれば、私自身
「誰かのため」を標榜しながらサポートする。
そのことから逃れたかったのは、
「誰かのため」とキレイ事をいいながらも、
結局は自分のためである「ジブン」の
ありように気づいたから。
他者は自分の鏡。
そのため、
誰かのためは、自分のため。
自分のためである以上、何かが起こったとき
(脳内で考えるだけであっても)
自分が助かろうとする。
そんなありようは、
必ずどこかに滲み出ます。
でも、自他を超えたものを
第一義に置くと決めて、行動したら。
そのとき初めて見えたことがありますし、
ある種の清々しさと活力を感じました。
(感じています)
とはいえ、手探りのなか、
試行錯誤の連続ですが。
それでも、今
確信していることがあります。
それは、
自他を超えたものに傅くことが、結局、
まわり回って、誰かのためになるし、
側にいる人のためになるし、
自らも平穏でいられる。
ゆえに、生意気ながら
その方にお返ししたのは
「二項対立で捉える見方から抜けたとき、
見える世界は変わります」
御人は、哲学などを学ばれていませんが、
いろいろ思うところがあったようです。