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潮流を作るひと、現場を感じるひと

5年くらいも教育関連の「活動」をしていると、いろんな人と知り合う。
5年前は、知り合いになれるくらいの規模の団体だったひとも、メディアなどに出るような大きな企業・団体になっていたり。

基本的にわたしは何者でもないけれど、
たぶんここでこうしたらこの潮流に乗れるんだろうな、とか
この団体と組んだら有名になるんだろうな、という「アンテナ」だけは鋭い自信がある。

にもかかわらず、いまだに何ものでもないのは、数年のやりとりのなかで、自分のタイプを認識してきたからだと思う。

世の中が変革されるとき、大きな潮流を作る人というのは必要だと思う。
マス、にわかりやすく動いたり、権力と結びついたり。

そういうことをしなければ、マイノリティとして扱われてきた部分の扱いがそうそう簡単に良くなるのは難しいのだから。

そういう部分は自分も思ったこともあり、いろんな人と絡んでみたり、助成金や行政の会議に関わったりしたこともあった。

でもどうやっても自分は現場派だなというのがだんだんわかってきて、それとともに、大きな潮流は、その発端がマイノリティであるにも関わらず、だんだんマジョリティになっていく途中で、当事者感覚忘れていってしまうんだよな、多くの場合。

現場にいたいのは、マイノリティの、当事者の、現場の感覚に気付かなくなることが一番怖いから。

だって、その感覚、課題感なくなったら、いったいなんのためにその潮流を強くしようとするんだろ。
もはや、事業というなかの義務、ルーティーンに本来の目的が呑まれてしまうかたちになってしまうと思う。

でも、期待はしていたのだ。
そうやって、大きな潮流タイプの人のなかにも、本来の想いを忘れないように、「力を持つために」いったんマスに寄っているだけだ、と。

で、たびたび落胆してしまう。
だって、大きくするために数年かかってたとして、その間、当事者である「困っている側」の状況ってほとんど変わってない。
けど期待して希望を持って耐えている。
情報もリソースも提供する。
でも、ちゃんと使ってくれない(使えない)の。ビジネスとして効率化、に目的が寄っていってしまってる。

メインストリームが変わったら社会って変わるのかなと思いきや、そんなに現場は変わんなくて。
でも潮流は変えていくひとたちは必要で。

現場の視点も忘れずに、潮流を作ることの原点を忘れずにいれるひと、かたち、ってあるはずって希望を持ってしまう。

リソースがない、資金がない、権力がない、現場はただただ実績を積みかねて説得力にするしかなくて、それはそれで年月がかかる。
でも、その知識・経験って、確実に積み重なるし、誰にも奪われない。
自分は現場派として、その活用戦略を考えていきたくてビジネス学んでいるのかもしれない。


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