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そいえば、ナニモノでもなかったわ。
そういえば、
不利益を被らないために
社会的にしっかりしてるようにしたり
困っている、苦しんでいる側がながらく変わらない社会を多少なりとも変えるには力が必要だと感じたり
で社会のなかで何者かになろうとしていた時期が長かったように思う。
現実生活も仕事というより経験として積み重なってしまった色々もあるけれど
その間じゅう、ずっと生きにくかった気がする。自分やまわりを観察していくなかで、何者かになる機会があってもそこを自分は活かせないとわかったし、たいてい本当の実力者の何者か、以外の目立つひとは「何者かになろうとしているから目立ってる」だけと気づいたから。
目立つこと、なろうとすることがわるいわけじゃなく、キャッチコピーで言ったもんがちというか、前から知識やスキルがずば抜けているある分野のひとがいても、目立ってマーケティングやブランディングがうまいひとが第一人者になるみたいな。
それはそれで昔からよくあるし、戦略としては別に良いと思う。
ただ、別に自分はなにかと戦うためじゃなければナニモノかになりたいわけじゃないんだな、と最近気づいたところ。
何者かになってもならなくても変えられるもんは変えられるし、かわらないもんは変わらない。
もちろん、世の中は綺麗事じゃないから金や権力が活きる場面もあると思う。
そういう力は持っていたい。
でも、何者かになってたからそれができるわけでもないし、何者かのひとはたいていそこに力は使わない、という世の中の現実も知ってしまったし。
「なんかのときのために」と、そういう何者かになろうとしたり、何者かとつるんでいようとするのって、自分の根っこは求めてないな、と。
そもそも目立つの疲れるタイプだし。
理不尽な偏見や、必要な対処には騒ぐけど、インフルエンサーとか、働くママのキラキラなロールモデル、とかには合わないタイプだからなぁ。
しいて、なんかなりたいなら、人がやってない分野の「先駆者」くらいかな。
いやー、なんかなにものかにならなきゃ、と思ってる期間、
「なにかに沿おう」
として生きづらかった気がする。
そいえば、そもそもなにものでもなかったわ。
なにになろうとしていたのだろう、自分(見くびられないようにする必要はあったけど)
自由に無邪気に、緊張なんてせず、ほんとの「何者さん」とも会話できそうな、そんな出会いは、なんにもラベリングしていないほうが、きっと開ける気がします。