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頑張ったところで、どうせ無駄だ

ADHD的な気質を持っていると、
「こういった傾向がある」「こういう思考回路になってしまう」というようなことは、当然頭に入っている。

なので、それに対しては、自分なりに比較的対処しているものなのだ。

例えば、
「周りを気にせずに話し過ぎてしまう」なら、自分は基本話さないようにして、周りが一通り話し終わるまで待っていたりする。

そこで、声の抑揚やトーン、表情などを見て、自分が入るべきか否か、気持ちを汲みとれているかどうかを見ていたりする。

こういうことは、社会人経験を経て、自分なりに対処法を経験則で編み出したものであって、
世の中のADHD・ASD等といわれている人でも、周りから見るとその典型例には見えないことが多いんじゃないかと思う。

「普通」に合わせるということ

元々の気質としては、その「普通」とは違うわけで、社会の一員として過ごしている間は、常に「普通」を「演じて」いるわけだ。

毎日の生活の大部分を、周りとうまくいかないことにびくびくしながら演じ続けることは、次第に大きなプレッシャーになる。

自分もそうですが、新しい会社に入ったとき、しばらくは自分があたかも「普通」であると錯覚するくらい、ちゃんといろんなことができていたりして。

そして、その間に、ある程度業務ができることを見せようと頑張るので、そこでの評価はある程度いただくことが多い。

そして、何かをトリガーにして、一気にそれが崩れ始めます。
一度崩れだしたら、どう抗おうにも、止めることはできない。

THE エンド

会社や周りの人は、ちょっと評価されたから調子に乗っている、と感じます。なので、「反省」を促されたり、「叱責」を受けたりする。

もうこの時点で、それを回復させることはほぼ不可能。
あとは、どんどんと肩身が狭くなっていく会社で、いつ退職しようかだけを延々と考えることになる。

自分の場合は、それで8回転職した。
たとえある程度病気に理解がある経営陣や上司だとしても、僕以外の人に対してのマネジメントもある手前、特例を認めるわけにはいかない、という結論になることのほうが多いのではないだろうか。

そうやって、また別の会社に入り、同じことが繰り返されるのだ。

怠惰だと思われても仕方がない

発現する症状は、朝起きられなくなって遅刻を繰り返したり、大切なことを忘れてしまったり、感情のコントロールが難しくなったり。

周りが見て、良い気持ちになるはずもないので、それを否定するつもりは毛頭ない。
でも、反省していなかったり、改めようと思っていないわけじゃないんだということだけはわかってほしい。

会社で立場が悪くなっていくことをわかっていて、わざとやるわけがない。
周りの人と同じように、目立たなくていいから、ただただ「普通」になりたいと、心から思っている。

でも、なれない。
通院もしてる、薬も飲んでる、問題が起きないように毎日びくびくしながら過ごし、どうすればよいか試行錯誤をくり返している。

分かってもらえないだろうなぁ、と心で覚悟していても、やっぱり分かってもらえずに「どう反省して、どういうふうにして今後ないようにするか」なんて話されると、本当に死にたくなる。

死にたくなるのに、なぜ健常者として働くのか

正直、障害があることを前もって伝えて障害者的に雇用されるほうが、こういった問題は起きにくいだろうし、精神衛生上もよいだろう。

でも、そのもらえる給料じゃ、生活できないんですよ。
過去に生活のために作った借金も、大学に行くために受け取った奨学金もある。家賃も払わないといけないし、食費もある。

だから、みんな無理して健常者を装って「普通」の企業に入って、もがき苦しんでいるのではないだろうか。

希望条件、望んではみるものの…

個人的には、フルフレックス制でさえあれば、かなり精神的に楽になるし、体調が少しすぐれない時もリモートが許されていれば、心強い。

忘れやすい人も、多動っぽい人も、社内がチャット文化であれば、だいぶんとましではないだろうか。
どこにいても返せるし、依頼者が勝手にタスク化してくれるし。

ノンバーバルコミュニケーション、バンザイ\(^o^)/

とはいえ、こんなのを希望したら、ほとんど企業は見つからない。
中途採用は特に、「妥協」を多くしないと複数回の転職はできない。

そして、最低限もらいたい給料は確保できない。


きっとこれからも、こうやって生きていくんだなとふと思っては、涙がこぼれそうになる。
いつまで、このぎりぎりの精神状態を保てるのか、身体からの悲鳴を聞かないふりして、チキンレースを今日も繰り返している。

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