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継続に秘訣はない。光はある。

〜はじめに〜
本記事は長堀橋美容室imamuraが運営するサイト「yorozu imamura」へ宛てて書いたエッセイを本noteに転載したものである。
http://yorozuimamura.com/

長堀橋の美容室imamura店主がInstagramフィードに貼り付けるハッシュタグ「#あれ何屋やったっけ」。
そのハッシュタグが示すように、興味を軸に色んなことに手をつける店主。
割れた皿の金継ぎ(僕のもやってもらったことがある)、株式投資、土鍋ご飯とみそ汁の研究、建物観測(施工や解体の記録)、あらゆるDIY。
日常で多様な扉を見つけ、その中での楽しみを開拓していくさまは、一見すると器用貧乏とも評されかねない。
しかし、本業以外に視界を広げる彼の目先には、「なんだっていい」という投げやりな未来でなく、より良き未来を見つけたいからこその「なんでもやってみよう」があるような気がする。そして、行動を落ち着けることは、未来の選択肢をせばめることでもあるかもしれない。

そんな多様な言動が目立つ店主が立ち上げた何でも屋的プラットフォーム「yorozu imamura」は、小さな興味をガラクタ扱いせず、事物の価値を見直す面白味をシェアする場所。

店主と呑んだり、髪を切ったりするなかで、以前、yorozu imamuraから提案された「価値のぶつぶつ交換」という新しい交渉企画に僕も一枚噛んでいる。「価値のぶつぶつ交換」とは僕がエッセイをひとつ書きおろして提供するかわりに、ヘアーカットを無料奉仕していただくという内容だ。

しばらくyorozuサイトへ寄稿するエッセイを書いておらず、最近はお金を払って美容室へ行っていた。特にやりたい髪型が定まらず、伸びっぱなしにした髪の毛は、切らなければいけない状態になるまで放置され、まわりの非難によってようやく美容室の扉を叩くのがここ最近の流れだ。

それにしても、毎回清潔感を取り戻し、社会性を保つためだけに美容室でヘアーカットするのは何とも味気ないし、日々スキルを磨いて待っていてくれる美容師さんにも申し訳ない気がする。僕の美的感覚の不得と致すところだろう。
せっかくお金を払うのだから「放置の限界を突破したから髪を切ってほしい」なんて悲しい理由で美容室に行くより、互いにそれ相応の価値を感じとれる機会にすべきだとも思う。それなら、髪の毛を切るタイミングで、自分の提供できる価値と、ヘアーカット交換できる方がとても豊かなことだし、価値の等価交換としては有効なやり方のように思う。

エッセイを書いたら、断髪。
生まれた一つの価値から、もうひとつの価値を得る。

店主も価値のぶつぶつ交換には積極的な姿勢を見せてくれるので、せっかくなら、豊かなことに時間を割きたいと思い、また今こうしてエッセイを書くことにした。

じつは、imamura店主のyorozuサイトも立ち上げたのは何年も前で、そこから僕も絡んだり絡まなかったり、店主自身もサイトの更新頻度がまちまちだったり、互いに「熱をもって継続することの難しさ」を感じていたのは、想像するに容易いことだった。

お互い本業をホームとしながらも、ときおり専門外へボールを投げることで、ホームに返ってくる価値があると期待したわけだが、実際は、お互いにケツをたたくことも、励ましあう余裕もないまま継続は困難になり、サイトは停滞気味になり、未だ影響力を有してはいない。
諦めたわけでも嫌になったわけでもないだろうけれど、サイトの停滞ムードからは、わかりやすく言えば「モヤモヤ」が残る結果となった。

このモヤモヤは、「やり残し」として、日常のなかで大きな支障とはならなくても、小さくチラついては、できていない自分を責めたり、できなかったことを人のせいにしたりしてしまう要因となる。(僕の場合には)

少し話しは飛躍したが、yorozuサイトに関わらず、以前より自分は、こういったモヤモヤで視界が悪くなることが多々あったし、今もあったりする。

物事を継続し、毎日1ミリずつでも進むことができたら、きっとモヤモヤは晴れて、素晴らしい景色を僕に見せてくれるかもしれない。
しかし、この「継続」こそが困難なのである。

年を重ねるほど、生活や仕事の情報量は過多になり、ひとつひとつの情報を丁寧に処理するまもなくまた次の情報が上塗りされる。
目標実現のためのやることリストが見えていても、目の前の日々の情報量が分厚い壁となって、やることリストに辿りつけない。
やることリストがたまっていくとゴールが縁遠く感じて、走る気は失せてしまう。

そして、継続は失われる。

継続するための秘訣をインターネットや本に求め、やってみても続かない。
そもそも継続できないのは、没頭していない、熱中していない証拠だとわかっていて、それなら一層いさぎよく辞めたほうがいいかもしれないけど、辞めることを自分が許さない。行き場所がなくなるのが怖いのだ。では、継続することのみが唯一の道として、継続を達成するにはどうしたらよいのだろうか。

そういえば、このあいだ東京のミュージシャン潮田雄一と呑みの会話で、ちょうど継続することの難しさを話していたとき、今まで、なんども誰かの口や本やネットで聞いてきたセリフなのだけど、そのときはその言葉が妙に腑に落ちた。

とにかく手を動かす。気持ちはあと。

というような内容の言葉だったと思う。
これは潮田雄一が毎日ギターを1時間弾いてるというので、その秘訣を聞いたときに教えてくれた言葉だった。この言葉が、何を現しているかを理解したときに少しだけ、モヤモヤの輪郭が見えて、やるべきことが見えた気がした。

結論で言うと「継続する秘訣などない」である。

結論というより動かしようのない事実を突きつけられ、やはり手を動かし、やるしかないのだと再認識した。同時にその言葉は、僕を突き放すのではなく、モヤモヤを晴らすための道をちゃんと照らしてくれるような明るい言葉だと思った。当たり前のことだし、知っていた言葉だけど、他人からでた言葉を僕自身が受け入れるタイミングがきたから、そう思えたこともあるのだろう。

書き続けること。
歌い続けること。
続けることの意味や理由。
そのゴールは、ずっと先にあるかもしれないし、ないのかもしれない。
結果がどうあれ、積み重ねることは、積み木で建物を作るような、マフラーを手編みするような、その地道な過程を楽しむような側面もある。
進んだり、止まったり、その時々の自分の気持ちや表情をたしかめながら、まるで季節を愛でるように自分の変化を楽しむことができたら、「継続」は"人生を照らす光"として機能するに違いない。

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