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発刊順:92 アクナーテン
発刊順:92(1973年) アクナーテン/中村妙子訳
古代エジプト第18王朝のアメンヘテプ4世(アクナーテン)は、勢力を増すアメン神の神官団排除のため、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を断行。その歴史的事件をベースに、若き王アクナーテンと美しい妻ネフェルティティの愛と、民に自由を与えるはずの彼の企てが無残に崩壊する様をドラマチックに描く
この作品は古代エジプトの実在の人物を登場させた戯曲である。
本作が書かれたのは、1937年であるが、その後一度も公刊されず、舞台としても上演された記録はないようだ。
公刊のきっかけは、
1972年に大英博物館でツタンカーメン展が行われている最中、クリスティーが版元に原稿を送ってみたことがキッカケだったという。
という経過で、発刊は1973年。クリスティーが最後に書いたミステリー「運命の裏木戸」の後に発刊されている。
ハヤカワ文庫の解説には、エジプト考古学者の吉村作治氏が寄稿している。
古代エジプトが好きなので、クリスティーの描いたアクナーテンやネフェルティティがどのように描かれているのか楽しみに読んだ。
古代エジプトが空前の繁栄期を迎え、アメン神を信仰する神官達が、ファラオをも凌ぐ権力を持つようになる。このような時代背景のもと、新たに即位したアメンヘテプ4世は、多神教とアメン神殿の神官たちに異を唱え、自分が信仰するアテン神こそ、最大にして唯一の神だと主張するようになる。当然、アメン神殿の神官からは猛反発を受けるが、彼は強引に都を遷都。自身の名前をアメンヘテプ4世から「アテン神にとって有益なもの」を表すアクエンアテン(アクナートン)に改名し、アケト・アテン(アテンの地平線)と名づけた新首都で、神官に影響されない新しい政治を行ったのだ。
この時代へとクリスティーは、想像の翼を羽ばたかせる。
アメンヘテプ4世(改名してアクエンアテン)が急進的な改革を行ったのはなぜなのか?
その妻ネフェルティティや周囲の人々が、どのような心情でその時代を生きていたのか、民衆はその改革をどう思っていたのか…などなどを、残された文献からクリスティーの推理によって描いていく。
アクナーテンの生涯は、アクナーテンのただひたすらに理想主義的な言葉が宙に浮き、地に足のつかない政策でエジプトに起こる混乱によって、彼は徐々に追い込まれていく。
周囲の国からの侵略に対して武力を用いない、何もせずひたすら高尚な言葉を放つのみのアクナーテン。
今まで自然界のありとあらゆるものを神として崇めていた古代エジプトの民衆は、いきなり「アテン神だけが神である」と言われても、ピンとこない。
息子が死んだある女性は、
「オシリスは死者のために取りなしてくださったわ。オシリスがいなくなった今、死んだ者はどこに行けばいいのよ?」
「神々はもうエジプトにはいないのよ。怒って出ていったんだから」
「今度の新しい神さまはどういう神さまなの?あたらしい神さまがわたしたちに何をしてくれたって言うのさ?」
アクナーテンは、自分自身を「アテンの息子」と宣言し、アクナーテンとネフェルティティだけがアテンを直接崇拝することができた ― とあり、神から切り離された民衆は唯一神の押しつけとも思われる改革に困り果てる。
ちなみに…
エジプトの神のひとつである太陽神をラーといい、新王国時代にテーベの守護神アメン神と融合して「アメン=ラー」となった。
アテン神は、マイナーな地方神であり、テーベの「夕日を神格化した神」である。
あまりにも急激な宗教改革だったため、アメン神官達の抵抗が激しく、疫病の蔓延もあり、15年で終わる。
クリスティーは、アクナーテンの最後をどのように描いたのか…。
ミステリーとは違い、また、ロマンスシリーズとも違った、考古学好きなクリスティーが自由にペンをふるった作品です。
この作品と同じ年に、名作の『ナイルに死す』も書かれています。
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2023年9月6日読了