![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120116314/rectangle_large_type_2_cb3fe1ae44a536b3630d1fad514a0993.jpeg?width=1200)
アガサ・クリスティー関連図書5
鏡の中のクリスティー 著者:中村妙子
中村妙子さんといえば、クリスティーの愛の小説シリーズ(メアリ・ウェストマコット名義)を訳した人です。
再読にあたって、愛の小説シリーズ全6冊、すべて手元に持っていたので昔からクリスティーのコレクターだったんだなぁと改めて思ったけれど、内容は全然覚えていなかった。
全てを再読すると決めて、当然愛の小説シリーズも全部読んだが、それぞれ大長編ではあるけれど、一気に読ませるドラマがあって面白かった。
クリスティーの小説に「鏡」ないし鏡の機能をもつもの(例えば川、あるいは肖像画)がしばしば出てくる。
タイトルも「鏡は横にひび割れて」「死人の鏡」、短編で「仄暗い鏡の中に」…と、鏡に結び付けたプロローグには
鏡とは、まことに不思議なものだ。それは確かに、自分についての真実を教えてくれる。しかしそうした美醜の判断の基準は、まわりの社会のそれに即している。一方、鏡に映る顔が自分についての真実をことごとく伝えているかというと、必ずしもそうとはいえない。それは、ある角度から見た真実でしかない。にもかかわらず、鏡は人間がみずからの姿形を知る唯一のよすがなのだ。
とある。
本編はというと、クリスティーの生涯を自伝から引用しながら、順を追って紹介していくというもの。
自伝は2年前に初読みしたが、あまりの分量にとりあえず読んだ…という感じだったので、この本で改めてクリスティーの生涯や生み出した作品の解説を振り返ることができて良かった。
幼少期のアガサは、
母クララが、「まぁ、アガサ、あなた、なぜ、そのときすぐにわたしに話さなかったの?」…(略)
「だって、あのね」とわたしは口ごもった。「あたし、じょうほう、手放すの、好きじゃないんですもの」
それからというもの、わたしはよく情報を手放したがらないアガサとからかわれた。
内気で、思ったことを言葉に出すのが苦手なアガサの微笑ましいエピソード。
しかし、このエピソードには、謎解きをほとんどいつも最終章まで持ち越す、後年の作家クリスティーの面目が躍如しているように思う、と中村さんは言う。
さらに、子供の頃遊び相手がいなくて、自分で想像の世界を創り出していたアガサ。
ばあやがまだミラー家にいたころから、アガサは独り遊びをしながら、しばしば想像上の友達である、不特定の“子ねこちゃん”にこっそり話しかけていた。しかし、自分だけしか知らないと思っていたこの友達についてばあやがちゃんと知っていることにたまたま気づき、それからは誰かがそばにいるときにはできるだけ独り言をいわないようにしたという。これも、アガサが幼くして情報を手放すのを嫌っていたという一例かもしれない。
こんな具合に、アガサへの愛情溢れるエピソードが自伝などから引用され、読んでいる間中、アガサ愛に包まれた気分であった。
子供時代を幸福に過ごしたアガサも、初めの結婚は悲しい結末を迎えるが、その時の経験や親子関係からくる経験を、推理小説では描ききれないものを書いたという愛の小説シリーズは、ミステリとは違った魅力にあふれていましたが、中村さんの訳だったからこそ余計に面白く読めたのではないかと思います。
この本の中にはまだまだクリスティーの魅力がたくさん紹介されていて、自伝をまた、時間をかけてゆっくり読んでみようという気持ちにもさせてくれます!
さらには、犬好きだったクリスティーが初期の頃に書いたハヤカワ文庫未掲載作品、「愛犬の死」(短編)も読めます。
![](https://assets.st-note.com/img/1698476082343-nHIV9avUgv.jpg)
メルカリで購入