楢葉3人旅 _10月編_
どうも、星です。
楢葉町への旅が続いています。
9月は一人旅。1人で旅して、1人でなんか出会って。そんな日々でした。
10月は打って変わって、メンバーたちとの旅。
神保、山田、星の3人がお届け!
とにかく濃い、濃すぎる、そんな日常を、ダイジェストでどうぞ!
10月28日(月) 移動日(イェイ)
予定より1時間ほど遅れての出発。
車は、納車されたばかりの会津ナンバーエブリ。
これで4人までの移動なら荷物もそれなりに載せて移動できるぞ!
2人をピックアップして向かった先は、富岡。
何故富岡だというと。
NPO法人富岡町3.11を語る会の青木さんにお会いするため。
青木さんは震災以前から富岡に住まわれていて、その頃は高校演劇の顧問をされていたとか。地域で演劇をやるということを、一番教えてくださると思い、お話を伺いに行った。
僕らは旅をしながら演劇を作ることをしようとしている。
地元西会津でもそうだったが、その場に根付いた人が行う事業こそがいろんなものを蓄積し、それが外側へと影響が波及していく。
僕は絶対にその人たちには敵わないと思ってしまう。
だからこそ、西会津では風来坊のような関わり方で公演を行なっている。
僕自身が波及的効果を持っていなくても、僕が呼んだ人が面白ければ、観た人たちによってその話が広がっていく。残念なこと、僕自身の作品に天地を揺るがすような波及的効果はまだない。旅するたたき場は、間違いなく僕以外の4人が持つ爆発力に、僕は賭けている。
青木さんに僕が単独でお会いすることなく、こうやってチームでお会いしたのは、そういう下心があったからかもしれない。僕以外を紹介したい。根本はいつも変わらず。
さて、ありがたいことに話が広がり、次の日に富岡の町を少し案内してもらえることになった。よかったよかった。繋がった。
夕飯はkashiwayaさんへ。
ここでもいろんな意見をもらえた。
感じたのは「共に何かを作る」ことを望んでいる人が思った以上に多いということ。演劇においてもそれは例に漏れず、共同で何かを作業する演劇作品にも抵抗がないというのは、これは先人たちがそれをやってきているからだという証拠だろう。
新参者として、何ができるかを考える1日だった。
そして宿となる堺宅へ。
僕たちは、堺宅でこれからのことを話してみた。何を話したのだろうか。とりあえず、みんなの熱量を受けて、僕は大満足。みんなより一足先に寝てしまった。
10月29日(火) 朝活からのプチ富岡研修、本番想定会場での話し合い(イェイ)
朝は7時起き。6時に目覚ましを鳴らして、7時には散歩を始める。
途中でバスを待つ子供たちに挨拶。きっと彼ら彼女らからしたら、見も知らぬ不審者男性だが、挨拶を返してくれた。ありがたや。
そのまま、ゆったりと歩きながら、民話を読み上げる。
とても不思議な感覚が現れた。
部屋で読むと想像力に任せて、民話が立ち上がっていったのだが、歩きながら朗読をしてみると、急にその想像力が現実に影響を及ぼし始めたのだ。
すぐそこの藪の中にはきっと大蛇がいる。
あそこにいたお地蔵さんは、この話のお地蔵さんかもしれない。
この話に広がる景色は、この目の前に立ち現れている景色かもしれない。
僕は楽しくなってしまった。民話を歩きながら喋り、感覚を広げて受容することで、民話に現実味を帯びさせることができる。面白い感覚だった。
と同時に、僕には次の考えが浮かんだ。
宮澤賢治の作品は、一つの民話だと考えることもできる。
民話は、大きな山やオチがないことがままある。
宮澤賢治の作品の一部にもそういうものがある。書き途中のようなお話だったり、オチがまったく見えなかったり。とくに盛り上がらず終わったり。
しかし、それらを民話と考えてみたら、急に合点がいった。日常と結びついている物語。宮澤賢治の物語を野外でやったときのあの現実味溢れる感覚は、彼自身が野の中で過ごしている中で降ってきた話だったからなのだろう。
僕はまた、一つ宮澤賢治の発見をしたのかもしれない。
と1人ウキウキして、僕は宿に戻ってきた。
午前中は、青木先生による富岡プチ研修。建物がなくなり、空き地だらけになってしまった商店街。かつては子供たちが立ち寄り、町の人と子供との交流が存在していた場所だったが、今は、変わってしまった。しかし、その話を聞いたときに、やはりそういう何か魂の残りのようなものを感じた。
ああ、そうか。だから富岡には演劇が起こるんだろうな、と。現実から作り上げる作品が、とても重要なだなと、なんとなく感じた。
午後は木戸ダムに行き、迫力に圧倒された。
この川を制御したことで川のエネルギーに変化が起きたのではないかと、前回の旅のとき、堺くんと話した。1ヶ月経ち、演劇の創作に明け暮れていた後にこのダムをもう一度見ると、その考えが真なのではないかと思う様になった。綺麗に形作られた人為的なものは自然的なエネルギーを制御してしまう。しかし、それは人のためにも自然のためにも、妥協点として存在しているから、絶対悪だとは思えない。
貯められた水を見て、僕はその奥底に沈み、上を眺めてみたいと、ふと思った。
ならはCANvasへ移動。
現場での打ち合わせを行う。あーでもない、こーでもないとみんなで話す。現場を見つめ、座り、声を出し、いろんな角度から眺め、外からもうちからも眺める。
わたしたちとこの場所が仲良くなるために、いったいどうしたらいいのだろうか。頭を突き合わせ、言葉を交わし、音を鳴らして、いろいろと考えた。
といいつつ、終盤、僕は神保治暉と山田朋佳の思考を眺めるのに徹していた。この2人はどうやってこの場所を遊ぶんだろうかということに興味が湧いてしまった。だからそっちに意識を向けてしまい、自分で考えることをやめてしまった。
それが結果よかった。2人の考えがどんどん積み上がっていく様子は、それ自体がもはや大地の誕生そのものだった。地層である。思考の地層が出来上がっていった。
お腹もすくころ、僕らは堺家に戻り、シチューを作った。
シチューをみんなで食べたあとは、また話し合いだ。
課題となってきたのは「タイトル」。
このタイトルを見つける旅が再び始まった。
僕はここでも夢見心地で2人の議論を眺めていた。
夜だろうが加速をやめない2人の議論に僕は圧倒されていた。
2人はかなり遅くまで話していたが、僕は早々に眠りについた。
安心感とともに眠りについたのだった。
10月30日(水) 朝活からの、人と会いましたラッシュ!(イェイ)
朝7時に起床。
朝活で再び散歩を。昨日とは逆方向に歩く。また民話を読む。ちょっとだけ言葉を覚えて、ソロパフォーマンスのときによくやる読み方で、言葉で遊んでみた。集団では使えないけれども、ソロならこのやり方でいけるかもと思いつつ、集団で使える読み方ってなんだろうかなんてことを民話で遊んでみた。
民話はやはり土地のものだ。読むと土地や風が喜んでくれている気がする。いいタイミングで風が吹き、木々が合唱をし、日差しが明暗を作る。思わず身体が跳ねてしまう。雨の中だった。それもまたよかったのかもしれない。
とても楽しい時間だ。全ての言葉がこの土地から生まれていると考えると、ワクワクが止まらない。
前日に引き続き、朝から元気をもらった。
まずは役場に訪問。必死に場を和ませようと捨て身のギャグをするもからぶる。冷静沈着な旅するたたき場の心臓である神保治暉が、相手の興味をしっかりとキャッチする様にゆず太郎の話で場を和ませる。ナイスだ、神保くん。僕は恥ずかしさのあまり穴を掘りたくなる気持ちをなんとか抑えて、仕事を終えた。
次は新聞取材。11月のメイン講師となる中野志保がオンラインで参加。オンラインとは思えないスムーズなやりとりに、現地組の僕らは見守る係になっていった。さすがだ、志保さん。頼りになるぜ。
和やかな写真を撮ってもらい、盛況を願う。
お昼を食べたのち、木戸川漁協へ。
ここは僕が来たかった場所。みんなには付き合ってもらって帯同してもらった。申し訳ない。けどみんながいたおかげで、僕は聞きたいことをたくさん聞けた。だけれども、やはり僕は心苦しかった。僕以外に人がたくさんいるのに、僕ばかりが質問をしているような状況が、僕はとても苦手だ。だから2人にも質問をしてもらおうと話を振る。僕以外の方がいい質問するぞ!ってのを伝えたくなる。そしてそういうのは大体うまくいく。それで僕はやっとほっとする。楽しい話をたくさん聞けた、本当によかった。なんとかみんなの時間の邪魔をしないで済んだみたいだ。お邪魔しました。
そのあとは、こどもたちのあそび場へ。
2時間近く結果的にはいたことになる。現場のフォローを山田朋佳ことやまともが素早くいれているのをみて、さすがの気遣い力だなと感心した。一方その頃星は、ただただここに集うこどもと呼ばれる人間たちと一緒に遊んだ。彼らの時間にお邪魔しているのだから、いかに同化できるか、それを今回も試みた。やはり楽しい。彼らから刺激をたくさんもらった。
そして彼らとの別れの時間がやってきた。この2時間で少しだけでも共に時間を過ごさせてもらったことに感謝しかなかった。
そしてこの人たちと常に過ごしている現場の日野さんの度量と覚悟に感心しかしなかった。これが土地に根付いた人の存在なんだなと思い知らされた。背負っているものが違う。
きっと僕はこういったリサーチをする度に、毎回土地に定住している人たちへの羨望と自身の生き方についての反省とを繰り返すのだな、と思う。
そんなことを思い、彼らとの別れに涙を流し、僕らは土地のことをよく知る人との食事会に参加した。
問いを持ち、興味を持ちながら突き進む人の言葉は非常に重くのしかかる。福島出身、大学で外に出て、その後戻ってきた、いわゆるUターン組として、僕は彼の言葉がどれもこれも芯を食って重くのしかかってきた。
ありがとうございました。としか言えない。
故郷性の話ができたのはとてもうれしかった。
出身地は、変えることができないから、語れることはできるけれども、故郷はそうではない。この両者の違いに少し悩んでいたから、丁寧に言葉を交わせたことが幸せだった。
町に住む人たちにとって、外からポッとやってきた人ってのはどういう存在なのだろうか。僕はもっといろんな話を聞かないといけない。けれども同時に作品の担保も期待されている。と勝手に思っている。だから頑張ろう。
僕らはまたそのあとに宿に戻り、僕はそのまま西会津へと向かった。
10月31日(木) 東京へ戻る
西会津に布団などを取りにいい、楢葉に帰ってきて、そのまま東京へと向かった。
それだけかもしれない。移動日。西会津から楢葉、楢葉から東京。
そんな感じのダイジェスト!
自分と引き合わせて考える時間が多かった旅でした。
また再来週!楢葉に行ってくるよ!