先(せん)の話
身体の気付きは螺旋状で例えられる事がある。同じ言葉でも稽古していくうちにその意味合いが変わってくる。
言葉は限られているが、感覚は同じ言葉の中でも変化していく。螺旋の最初の渦と次の渦では同じ渦でも全く違う。これは動きの質が変わっていくと言ってもいいかもしれない。
今回書いてみる「先」についても、もう何年も前からその重要性は認識しているが、螺旋状にその質は変わってきている。5年前の先と今の先は似て非なるものだ。そしてこの先も変わってゆくのだと思う。ここでは今の「先」の認識について書いてみる。
「先」とはなにかというと、文字通り先(さき)の事。指先、足先などだ。他にも身体の先は頭のてっぺんがある。指先、足先が行き続ける、あるいは指先足先まで感覚を通しておく。たったこれだけだ。
まず「先」は速いという性質がある。例えば出した手を相手に持たれた時、「先」で動くと相手は崩れ始める。崩れ始めるとは相手の足先まで振動が伝わっているという事で、その時の相手は一瞬電車が揺れてグラついたような感覚になる。
これは分かっていても中々止められないから面白い。
また「先」は相手の中心を取る性質もある。
普段私たちが相手に何かしようとしたり、相手に何かされて抵抗しようとした時に力任せで動いてしまう傾向がある。この力任せの動きをよくよく観察してみると、動き始めが肩周りだという事が分かる。肩周りから動いてしまうと、力の焦点がズレていて、所謂力みの動作になってしまう。
力は如何に出すかではなく如何に伝わるかがまずは大切なので、肩周りから動く場合は出す事には長けているかもしれないが、伝えるという事に関しては上手く伝わらない。それに対して「先」の動きは力を出す事に関してはほんの少しだけだが、そのほんの少しの力が漏れなく相手に伝わるため無理がなく効果も大きい。「先」を少し動かすだけで相手の足先まで力が伝わるため先程書いたように相手が崩れ始める。これと同時に相手の中心まで入っていく事ができる。
ただ、この時に注意しないといけない事がある。それは、あくまでも「先」で動かなければいけないという事だ。どういう事かというと、「先」で動けばいいんでしょと言って真似をすると大抵の人が肘周りから動いてしまったり、肩周りが引っ張られて動いてきてしまったり、寄りかかってしまう動きが見られる。これらは全て余計で余分な事だ。普段の動きの癖が現れているので仕方がないが、「先」はこの普段の動きの癖を見直すための良い稽古である。
肩周りから動いているのは、電車で例えると3両目あたりから動いているようなもので、そうなると2両目1両目に衝突してしまう。これが力の停滞になり力みとなる。つまり無駄な力だ。「先」で動くとは1両目から動く事であり、2両目3両目が付いてくるのである。寄りかかり癖がある人は3両目あたりの主張が強く、1両目に目がいってないので末端の感覚が乏しい。
立ってもらい、相手がこちらの腕を掴んで下から上へ上げようとするのを抵抗すると肩周りの緊張が強くなる。この時になんとなくでいいので指先まで身体があると感覚すると同じようにされても肩周りの緊張はなく、楽にその状態を保っていられる。
「先」を感覚するだけで身体は等身大を思い出す。普段感覚している身体は精々前腕の半分までや脛の半分くらいまでである。物理的な身体と感覚的な身体の齟齬。まずは指先や手のひら、足先や足裏があるのね、いるのねと感じるところから始めてみるのも良いかもしれない。