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見えない帯
昨日は円覚寺で稽古の日。
月に一度のこの稽古は、いつも独特の緊張を伴って訪れる。
こちらで稽古のご依頼を頂いてからもうすぐ一年。
何故かこの一年は葉山、鎌倉方面でのご縁が広がり、多い時は週に一度湘南方面で稽古会や山歩きのワークなどを行っている。
とても有難い事である。
昨日の稽古ではお伝えしていて自分でなるほどなと思った事があった。
それは「見えない帯を巻いている」という事。
腰周りの話になった時に締めて下さいとよくいうのだが、これはヨガでいうバンダが基となっている。肛門、会陰を締める、ここから下腹部が引き込まれ、締まる形を工夫していく。
武術的な身体技法でも足裏の引き上げを下腹部まで持ってくるというのがある。
これも結果として、腰周りが閉まってくる。
そして、この腰周りが締まる感覚を、
「ゴムの様に圧を掛け続けるのではなく、帯の様に締めたら形が決まるという感覚で締めています。」
と答えた。
そして次の瞬間に、そうか、この腰周りが締まる感覚は帯を結ぶ感覚だと直感し、これは帯の役割をしている、つまり見えない帯なのだと気付いた。
道着や着物を着た方なら分かると思うが、帯は身体を纏める役割をしてくれる。下っ腹に巻くと下っ腹が在ると分らせてくれる。
それを自前でやっていたのが、この腰回りを締める感覚だったのだ。
深い集中状態に入っている時は、自然とこの状態になっている。そうでないと、緩みすぎて動きがバラバラになってしまう。
身体の外から働きを変えてくれるものを、自前で何か出来るのか、あるいはもう既にしていて気付いていないのかを探究、検証する良いキッカケが出来た気がする。
かといって、探しに行こうとすると見えなくなるので頭の片隅に置いておこうと思う。