日常に活かす
クラスをしている時にお話ししていることがあります。
「このクラスが終わって教室を一歩出たら、なるべくこのクラスで伝えられた事、感じた事を活かしてみて下さい。」
武術の方では、歩く時などなるべく地面を柔らかく捉える事をお伝えしています。
「地球に優しく。」
という表現で伝えていた時もあります。
また重心の移動などは体の部分的な力みを解消するには重要なのですが、これを稽古時に熱心にやっていても、いざ日常になるとついついヨイショ、ドッコイショと局所的に負担のかかる動きで腰や足を痛めてしまう。それでは稽古の意味が半減してしまいます。
もちろん、無理にやらなくても良いのですが、気が向いた時にゲーム感覚でやってみても良いと思います。
階段を登る時に、踏み締めないでフワッとしながら登れるか駅の階段を登り下りしてみてもそれだけで稽古になります。
ヨガの観点ですと、呼吸を観察してみるのも面白いです。
楽しい時の呼吸
緊張している時の呼吸
悲しい時の呼吸
苦しい時の呼吸
家にいる時の呼吸
仕事場の呼吸
海の呼吸
山の呼吸
などなど、その時の環境や状態によっても呼吸は変わってきます。
自分の感情に気付いてみるのも、感情を捉える上で重要です。
あ〜、今怒ってるな。
あ〜、感情的になってるな〜。
と他人事のように観てみる。
そうすると感情の湧き上がり点のようなものが見えてきて(もちろんいつも見える訳ではないです)、感情の奴隷にならないで済みます。
その時の身体の感じや呼吸も見ておくと、自分がどのような時にそういった状態になるのかも段々分かってきたりもします。
役者さんが色んな役を演じているように、自分も色んな場面で色んな状態になっています。
よく事件が発生すると近所の人がインタビューで、「いつも挨拶する良い子でしたよ」などと言っているのを見かけますが、それはそれで本人の1面だったのだと思います。家での自分と会社の自分が違うように、人はそれぞれの場面での顔があります。それが作っている時もありますし、自然体な時もあります。つまり、色んな顔があるのが当たり前なのです。
ただ、どこに行っても自然体な方もいます。これは稀有ですが。
クラスでせっかくアーサナをしてスッキリして内観して整ってきても、またいつもの日常に戻ってしまうともったいないです。身体の使い方や心の在り方においても然りです。
身に付かないものを身に付かせるのが稽古の1つの役割だと思いますが、日常そのものを稽古に出来たらまた違った世界が見えてくるかも知れません。
そんなこんなで、ちょっとでも日常に活かせて貰ったら良いなという思いで日々活動しております。