身体を鍛えるから、育てるという発想へ
身体を強くしたいという思いは誰しもあると思います。強くというのはしっかりしたいという意味合いもありますので、年齢を重ねていくと尚更です。しかし、身の回りの年長者に鍛えたらというと、いまさら、とか大変だよ、とかそういう答えが返ってきます。若い世代なら鍛えるという言葉にピンときてガシガシやりますが(かつて私もそうでした)、中年以降はなかなか身体が付いていかないと感じている人もいると思います。これは言葉の捉え方の問題が一つあるのではと思い、鍛えるから育てるの方がいいなと発想を変えたのでした。
私の場合は武術やその他のボディーワークを通して身体、心、身体感覚を育てています。育てるという発想は自然性を含んでいますので、稽古したり身体を動かすことばかりせず時には放っておいたり待つ事も肝要です。その間に発酵、熟成し感覚や考えが育っていくこともあります。もちろん腐敗する時もあります笑。身体を育てていくポイントとしては、1日少しでいいので身体に目を向けてあげる。目を向けてあげるといっても実際にじっと見るわけではありません笑。今、身体がどんな状態かなと感じてみる。例えば歩いている時、あっ今日休みなのに仕事の時と同じように急いで歩いているなとか、誰かと会話している時にいつの間にか肩周りが緊張しているなとか。
とにかくちょっとでいいので身体に感覚や注意を向けてみる。向けていくのと向いてしまうのは全く違います。私は集中と執着の違いと言っています。集中は捉えていく、積極性があります。執着は捉われる、受け身です。ハエが纏わりついてくるとイライラして手で払いますが、それがハエの研究者であれば良い研究対象だと思いそのハエを観察します。状態は同じですが中身は全く違います。
一生付き合っていくこの身体、少しでも身体の言い分を聴いて仲を深めていきたいものです。