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「車でお遍路」第19番札所 立江寺(阿波の関所寺「子安の地蔵さん」)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、19番目のお寺は、


橋池山きょうちさん 摩尼院まにいん 立江寺たつえじ

18番札所の恩山寺から約4.5㎞、車で約10分の場所、

次に訪れた札所は、18番札所から車で約10分とほど近い立江寺。
このお寺は、「邪悪な心を持つ人は天罰が下り、山門から先へ進めない」という四国霊場「阿波の関所寺」であり「四国の総関所」。

四国八十八ヶ所霊場には、各四道場に一つづつ関所があるが、「立江寺は第一番目、最初の関所(順打ちの場合)」となる。

ここには、「肉付き鐘の緒」伝説という怖い話も残っている。

では、阿波の関所寺という札所「立江寺」へ参りましょう。


ご詠歌

いつかさて 西のすまゐの 我がたつえ 弘誓ぐぜいの舟に 乗りていたらむ


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 天平19年(747年)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が光明皇后の安産を祈願して、約5.5cmの延命地蔵菩薩を金で彫り御本尊として建立した堂宇に安置して開基

  • 弘仁6年(815年)、この地で巡錫中の弘法大師は、御本尊があまりに小さいが故に紛失を恐れ、新たに一刀三礼して約1.8mの延命地蔵菩薩を彫り行基菩薩作延命地蔵菩薩を胎内に納めて、寺号を立江寺と命名

  • 天正年間(1573-1592年)天正の兵火で堂塔を焼失するも、御本尊だけは難を免れている

  • 江戸時代(1603-1808年)、阿波藩主蜂須賀公の庇護を受けて現在地に移転をして復興

  • 昭和49年(1974年)、火災により本堂が焼失するも、御本尊は救い出されて難を免れた

  • 昭和52年(1977年)、本堂が再建され現在に至る


「肉付き鐘の緒」伝説

享保3年(1718年)、石見(島根県)浜田の桜井屋銀兵衛の次女お京は、大阪で芸奴をしていた時に要助という夫と結ばれ故郷に帰り暮らしていたが、夫に愛想をつかし鍛冶屋長蔵と不義密通ふぎみっつうを犯してしまう
それを要助に知られ責められたことから、長蔵をそそのかして殺害をして駆け落ちをして讃岐の丸亀で暮らした。

しかし、お京は要助の亡霊に悩まされ二人で自害しようとしたが決心つかず、四国お遍路の旅にでて懺悔することにした

巡礼を始めて立江寺に辿り着き、お京が本堂で拝もうとした時、
お京の髪の毛が逆立ち、天罰が下り鐘の緒に巻き上げられた

慌てて罪を白状して懺悔すると、黒髪とともに頭皮まで鐘の緒に残ったものの、命だけは助かった。「肉付き鐘の緒伝説」である。

二人はその後出家して、この地の近くに庵を結び仏道に精進すべく一心に地蔵尊を念じて生涯を終えたという。

この庵の場所には、今はお京塚としてお京の位牌を納めている。


寺号について


ご利益

  • 御本尊の地蔵菩薩
    ・・・すべての生命を育む大地を司る菩薩で、現世と来世に幸福をもたらす善男善女のための28種のご利益と天龍鬼神のための7種のご利益があると言われる。
    子供を守ることで知られているが、他には例えば、苦悩からの救済、無病息災、交通安全、五穀豊穣、安産、水子供養、子授け、などさまざまなご利益がある。

  • 立江寺は特に「子安の地蔵さん」と呼ばれ、安産にご利益がある


御本尊・ご真言

御本尊:延命地蔵菩薩
ご真言:おん かかかび さんまえい そわか


見どころ

  • 山門(仁王門)
    ・・・関所寺の山門、邪悪な心の持ち主や罪を犯した者は天罰が下るという 仁王像が睨みを利かせている

  • 本堂
    ・・・延命地蔵菩薩を祀る本堂天井には、東京芸術大学教授等約40名が描き上げた花鳥風月など286枚の鮮やかな天井画で彩られている

  • 大師堂
    ・・・黒い大師像(別名:黒衣大師像)が祀られている 元旦から1月10日まで御開帳

  • 多宝塔
    ・・・大正7年(1918年)に建立

  • 黒髪堂
    ・・・大師堂横にあり、肉付き鐘の緒伝説(先述)の「肉付き鐘の緒」が祀られている

  • 白鷺橋
    ・・・白鷺橋は、行基菩薩が立江寺を開基する際、白鷺から寺院建立場所の啓示を受けたという(400m離れた場所) この白鷺橋に白鷺が止まっている時にこの橋を渡ると仏罰が下るという


おまけ情報

  • 四国八十八箇所霊場の4つの関所とは、19番立江寺(徳島県)、27番神峯寺(高知県)、60番横峰寺(愛媛県)、66番雲辺寺(香川県)。


写真


次は、第20番札所鶴林寺へ参ります。

2022年3月2日投稿
2022年9月14日改訂

合掌

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