「車でお遍路」第88番札所 大窪寺(「同行二人」最後の結願札所、感無量!)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、88番目のお寺は、
医王山 遍照光院 大窪寺
87番札所の長尾寺から約16.5㎞、車で約25分の場所、
車でお遍路も、いよいよ結願の札所へ。
長尾寺から大窪寺までの道程も、徳島県へ繋ぐ県道3号線を南下、讃岐山脈の峠道を走っていると3号線沿いに多くの人で賑わう「おへんろ交流サロン」が目に留まる。そこには、「へんろ資料展示室」があり四国遍路の歴史を感じさせる貴重な品々が展示、結願に向け益々気分が昂ってくる。
そして徳島県鳴門市へ向かう国道377号線に入り、暫くして大窪トンネルの手間へを左に曲がって進むと矢筈山の中腹標高約450mにド迫力の大窪寺の山門が見えてくる。
いよいよ大師との「同行二人」の旅も最後、結願の時が来たことで感慨も一入。
車であっても、これまで88ヶ寺の本堂と大師堂の計176堂にお参りするのは人生初の経験。達成感もなくはないが、とても悟りに至ったとは思えない。
寂しい気もするが、これまで旅を守って頂いた大師に感謝をしながら最後の参拝をする。
では、結願の札所「大窪寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
養老元年(717年)、この地を巡錫中の行基菩薩は、この地に霊夢を感じ峰を開き草庵を結び修行して開基
弘仁7年(816年)、この地を巡錫中の弘法大師は、胎蔵ヶ峰(現在の奥の院)の岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、御本尊として薬師如来を彫り、堂宇を建立して安置
さらに、大師は唐で恵果阿闍梨から授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納め、寺号を「大窪寺」とした女性の入山を早くから認めたことから「女人高野」として寺運は隆盛
天正年間(1573-1592年)、天正の兵火で焼失(御本尊と三国伝来の錫杖は免れた)、衰退
その後、讃岐高松初代藩主松平頼重公が寺領を寄進して再興
元禄年間(1688-1704年)、讃岐高松2代藩主松平頼常公も本堂や二天門を修築
明治33年(1900年)、失火で堂宇を焼失するも、歴代住職の尽力で再興し現在に至る
弘法大師伝説
寺号について
山号について
・・・御本尊である薬師如来の別名は医王如来であることから院号について
・・・「遍照金剛」は弘法大師の灌頂名であり大日如来の別名 「遍照」は「法身の光明があまねく世界を照らす」という意味から「遍照光院」と付けられたと思われる寺号について
・・・弘法大師は、この地が山の窪地であったことから寺号を「大窪寺」とした
ご利益
御本尊の薬師如来
・・・大医王仏、医王如来とも呼ばれ、十二誓願の現世利益の仏さま(病気平癒、他)大窪寺の薬師如来が手に持っているものは、通常の薬壺でなく「法螺貝」
・・・人々の心と身体の悩みやモヤモヤや厄難諸病を吹き払ってくれるという
御本尊・ご真言
見どころ
大窪寺は四国八十八ヶ所しめくくりの結願札所だけあって、金剛杖を奉納する寶杖堂があり、山門(仁王門)は大きく、本殿には相輪も見えるほど奥に深く、大師堂はこれまでにないほど横幅が広く地下もある、と見どころ満載。
本堂
・・・礼堂・中殿・奥殿(多宝塔)からなり、正面からは相輪、その背景には胎蔵ヶ峰を見ることが出来る
御本尊の薬師如来は一般的な薬壺の代わりに法螺貝を持つという珍しい仏さま
扁額には、「瑠璃光殿」となっているが、薬師如来の正式名称「薬師瑠璃光如来」から大師堂
・・・四国霊場で他では見たことの無い幅広の御堂、1階には通常の大師像、地下には剣を持った大師像を祀るという
地下にはお砂踏み道場があり、八十八ヶ所の小さな御本尊が祀られており、一周してお参りすればお遍路と同じご利益を得ることが出来ると言われている寶杖堂
・・・寶杖堂は結願札所ならではの御堂で、たくさんの金剛杖
金剛杖は弘法大師の化身とされていることから、結願したお遍路はここで金剛杖を奉納、「同行二人」これまで共に参拝してきた大師とはここでお別れとなる
なお、寶杖は春分の日と8月20日に「柴灯護摩供(修験道独自の護摩供養)」のお焚き上げをする
写真
この度、お陰様で、無事お遍路「同行二人」の旅を結願することが出来ました。
「同行二人」で大師の足跡を辿る四国霊場巡礼が終わったことで、次は、大師に結願のご報告と感謝の気持ちを述べに高野山へ参ります。
2022年8月25日投稿
2022年10月12日改訂
合掌
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