「車でお遍路」第83番札所 一宮寺(地獄の釜の札所)
こんにちは、旅いこかです。
四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、83番目のお寺は、
神毫山 大宝院 一宮寺
82番札所の根香寺から約18.6㎞、車で約35分の場所、
根香寺から五色台青峯から山道を下り、高松市南部の一宮町へ走ること約35分、琴電琴平線「一宮駅」からも近い閑静な住宅地の中に佇む一宮寺に到着。
その「一宮」、第62番札所宝寿寺に参拝した際、寺号標に「一国一宮寶壽寺」と記されていたように特別な名称。
「一宮」とは、和銅年間(708-715年)に原則律令国一国に一社のみ制定された諸国で最も格式の高い神社のことであり、一宮寺は讃岐国一宮の田村神社の別当寺(統括管理職)となっている。
では、大宝年間(701-704年)に開基したという歴史ある札所「一宮寺」へ参りましょう。
ご詠歌
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
大宝年間(701-704年)、行基菩薩の師である義淵僧正が法相宗として開基、「大宝院」と称す
和銅2年間(709年)、諸国に一宮が建立された時に讃岐一宮として田村神社が創建、その第一別当寺(統括管理職)となる
天平年間(729-749年)、行基菩薩が入山、諸堂を修復し、寺号を「一宮寺」と改称
大同年間(806-810年)、この地を巡錫中の弘法大師は、聖観世音菩薩を彫り御本尊として安置、札所と定め真言宗に改宗
天正年間(1573年~1592年)、天正の兵火により堂宇を焼失
その後、中興の祖である宥勢大徳により再興
延宝7年(1679年)、高松藩主松平公により田村神社と一宮寺とを分離
元禄14年(1701年)、本堂が再建され現在に至る
薬師如来縁起(地獄の釜)
寺号について
寺号について
・・・讃岐国一宮の田村神社の別当寺であったことから名付けられた院号について
・・・義淵僧正が法相宗として開基した際「大宝院」と称していた山号について
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ご利益
御本尊の聖観世音菩薩
・・・迷いや苦しみや災難から救いを求める全ての人に手を差し伸べる現世利益の仏さま。薬師如来
・・・大医王仏、医王如来とも呼ばれ、十二誓願の現世利益の仏さま(病気平癒、他)
人々を病気から救うという仏さま
御本尊・ご真言
見どころ
本堂
・・・元禄14年(1701年)に再建した風格がある本堂には、大師作の聖観世音菩薩が祀られている本堂前の楠の大樹と庭園
・・・楠の下に広がる庭園は一宮寺のシンボル地獄の釜
・・・大師が造られたという「地獄の釜」(参照:上述薬師如来縁起)一宮御陵
・・・三基の宝塔で、神仏合祀の名残で、孝霊天皇、田村神社の祭神である百襲姫命、五十狭芹彦命の供養塔と伝わる
写真
次は、第84番札所屋島寺へ参ります。
2022年8月15日投稿
2022年10月11日改訂
合掌