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「車でお遍路」別格8番札所 十夜ヶ橋(御野宿大師の札所)
こんにちは、旅いこかです。
四国別格二十霊場巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、8番目のお寺は、
正法山 永徳寺 (通称:十夜ヶ橋)
別格7番札所の出石寺から約30㎞、車で約50分の場所、
松山自動車道大洲IC近くの国道56号線十夜ヶ橋交差点に位置、国道沿いに境内がある(駐車場は境内の中)。
これまでの札所とは少し異なるのが、このお寺のメインの見どころは大師が野宿をしたという十夜ヶ橋の下。
大師は、この場所で一夜を過ごし「ゆきなやむ 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜も 橋と思ほゆ」と詩(ご詠歌)を詠み旅立ったという(※十夜ヶ橋伝説参照)。
そして、お遍路にあらゆる橋の上では杖を突いてはいけないという風習があるのは、このように橋の下でお休みになっている大師に失礼のないように、というこの十夜ヶ橋伝説から生まれたという。
また、この伝説から十夜ヶ橋の下は「修行」として国内で唯一野宿が認められているという。
では、大師が一夜の宿とした「十夜ヶ橋」へ参りましょう。
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ご詠歌
ゆきなやむ 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜も 橋と思ほゆ
お参りする前に知っておいた方が良い知識
歴史
平安時代(794-1185年)初期、巡錫中の弘法大師が小川に架けられた土橋の下で一夜を過ごした
永徳年間(1381-1384年)、開創するが火災により記録を焼失(開基は不詳)
享保12年(1727年)、秀意により再建
弘化3年(1846年)、寛如により本堂を建立
平成30年(2018年)7月、西日本豪雨のため境内が水没、本堂再建を計画中
大師伝説(十夜ヶ橋伝説)
四国を巡錫中の大師が、出石山から岩屋寺に行く途中に日が暮れ、泊る所もなく空腹のまま小川に架けられた土橋の下で一夜を過ごすこととなった。
その翌日には「ゆきなやむ 浮世の人を 渡さずば 一夜も十夜も 橋と思ほゆ」と詩を詠み旅立っていった。
この意味は、「生きることに悩み苦しむ人々を救いたい、悟り(即身成仏)へと導きたい、と衆生済度のもの思いに耽ると一晩が十日間の夜ほど長く感じる」という。
大師は、宿を貸してくれなかった村人や冷たく当たる人々を決して憎むことなく、全ての人々を救うことだけを考えて下さったという。
寺号について
寺号について、
永徳年間に開創したことによる十夜ヶ橋について、
ご詠歌の「一夜も十夜も 橋と思ほゆ」から
ご利益
御本尊の弥勒菩薩
・・・弥勒菩薩は、釈迦の後継者とも言われ、釈迦の滅後56億7千万年後の未来にわたり釈迦の救いの漏れた人達を救う慈しみの菩薩(現世で苦しみ悩む全ての人を救済して悟りへと導く衆生済度のご利益)
御本尊・ご真言
御本尊:弥勒菩薩
ご真言:おん まい たれいや そわか
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見どころ
奉賛殿(仮本堂)
・・・御本尊に弥勒菩薩が祀られている大師堂
・・・大師堂には2018年の西日本豪雨の大水害(浸水)の際の最高水位が示されている十夜ヶ橋の下
・・・お休みになっている大師像への祈りは必須
写真
次は、別格第9番札所文殊院へ参ります。
合掌